あれから15年が経とうとしている。
あの日を境に、写真表現の在りようが変わった、といわれてきたが、いつしかそのような言説も見かけなくなった。
じっさい、写真表現は変わったのだろうか。変わったとしたら、どのように変わったのだろうか。それを問うことは可能なのだろうか。それを問うことに意味があるのだろうか。
このようなことを語る余白があるということ自体が、15年経ったということなのだろう。
カタストロフィ(大変動、破局、破滅)は、それまでの判断と態度の変容を誘う。撮らなかったものを撮るようになり、撮っていたものを撮らなくなる。語らなかったことを語るようになり、語っていたことを語らなくなる。
そうした見えやすい変容もあれば、見えにくい変容、ほとんど見えない変容もある。たとえば、あの日の前にも語られず、あの日の後にも語られなかったことの変容は、気づかれることがないだろう。
ここで触れてみたいのは、そのような類の変容についてである。
写真は記録である、としばしばいわれるが、いうまでもなく写真は現実そのものとは異なっている。この違いが、さまざまな表現論を生んできた。
あたかも現実のように写真を捉えることが批判された1970年前後からは、写真は素朴な記録ではありえなくなった。写真は、記録かもしれないが、非記録でもあり、反記録でもある何かである。写真は記録である、という言述には、そのような暗黙のニュアンスが織り込まれるようになっていった。
今日、写真は記録である、というとき、かつてほどそれを疑うニュアンスは織り込まれていないように思える。写真は記録であると信じることは、少なくとも、罪ではなくなったのではないだろうか。いや、罪であったことなど、そもそもなかったのかもしれない。そう感じるくらい、暗黙のニュアンスが変容したように思われる。
いまにして思えば、あの日から、暗黙の了承がわずかに変わっていったのだと思う。写真の記録性をそこまで疑わなくてもいい。写真の記録性をもう少し肯定してもいい。ほんのわずかな判断と態度の変容が、一時的に、そっと導かれたのではないだろうか。
かつての在りようからすれば、いまがズレているのだろうし、いまの在りようからすれば、かつてがズレていたのだろう。いずれにせよ、振り返ってみれば、写真表現における記録の位置は、この15年でかなり変わった。
同様に、写真表現における記憶の位置も変わった。かつては、いささか難解な概念として扱われていたが、あの日から、難解さはその都度そっと多義性へと変換されていったように思える。記憶とは、あれでもあり、それでもあり、これでもあり、どれでもない。いつの間にか、記憶はほとんど記録と同義、というのが適切でないなら、記録と記憶は疑いえない強度によってぴったりとはりついた裏表の関係になっていった。
写真は素朴な記録ではありえないが、素朴以前の記録ではありえるかもしれない。いわば、元記録、原記録、源記録、現記録のいずれでもあり、いずれでもないような何かである。それは、記憶とよく似たものになるだろう。
そこでの強度は抵抗するだろう、記録と忘却に、記憶と風化に。同語反復的になった記録と記憶は、自問自答を誘うだろう。表現は(最良の意味での)独我論的なものになっていくだろう。
余白でこのようなことを語ることもまた、もちろん独我論的な態度だろう。私は間違っているのかもしれない。そのことも含めて、いまここの私的な記録として書き留めておこうと思う。



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