考へるピント

47 裏がある

2024/08/19
上野修

写真には裏がある。といっても、隠された何かがある、という意味ではない。字義どおり、表面に対して裏面がある、という意味である。
 

手元にある昔のサービスサイズのプリントを裏返してみると、"FUJICOLOR PAPER"、"Sakuracolor SR Paper"、"Konica"、"THIS PAPER MANUFACTURED BY KODAK"といった薄いグレーのロゴがある。自動現像機による英数字のデータが印字されているものもある。そんななかに、たまに手書きのメモがあると、やけに生々しくてドキッとしたりする。
 

知識があれば、ロゴやデータから何かしらの情報を得ることができるだろう。たとえば、小西六写真工業株式会社は、1987年にコニカ株式会社へ社名変更し、ブランドをコニカに統一した。ということは、"Konica"というロゴのプリントは、1987年以降のものだということになる。
 

手書きのメモは、もっと多くの手がかりを与えてくれることもある。名前、地名、年号といった単純なメモでも、筆記具の種類、筆跡などが雄弁に人間関係を浮かび上がらせたりする。裏返してみても何もない、というのも、ひとつの情報だ。いつ誰がどこで撮って、なぜ手元にあるのかわからないプリントはミステリアスで、さまざまな想像を誘う。
 

このように、プリントの裏面をつい見てしまうのは、銀塩世代の一種の習性といえるかもしれない。
 

とはいえ、裏返して見ることができないプリントもある。作品として展示されているプリントがそうである。そうしたプリントの裏面には、サインやエディションなどが記されている場合もあるだろうが、額装されている場合はもちろん、直張りされている場合であっても、裏面を確かめることはできないだろう。
 

つまり壁面に展示するということは、裏面をないことにする、とまではいえないまでも、裏面を公然と隠す効果があるのだ。同様に、アクリル加工なども、写真を厚みと重みがある物質にしてしまうことで、裏面という概念を消す効果がある。いいかえるなら、版画になったり、オブジェになったりすることで、写真は、つかの間(写真的な)裏面があることを忘れることができる。
 

だが、こうしてアートの文脈に入っていくことは、写真にとって諸刃の剣でもある。写真を空間にインスタレーションをしようとすると、必然的に裏面が見えてしまう。もちろん、裏面をあえて見せる方法もあるだろう。しかし、物質としての印画紙が強調されると、表面としての写真と分離してしまうように思う(印画紙、あるいは乳剤は、写真の支持体なのだろうか)。この現象を避けるために、質感の異なった紙にプリントしたりすると、今度は、かえってその工夫が際立ってしまったりする。
 

ポジフィルムをプロジェクションしたり、透過光フィルム(トランスペアレンシー)で展示することによって、紙の質感を扱わないようにすることは、解決策のひとつになるのだろう。だがその一方で、インスタレーションとしての自由度は落ちてしまう気がする。
 

ところで、写真には裏がある、といっても、すべての写真がそうであるわけではない。長く続いた、印画紙にプリントされた写真を手に取って見る時代においては、裏面を見るという身振りによって、ぺらぺらだったり、ひらひらだったりという質感を実感した、というだけのことだったのかもしれない。じっさいに匂いがする印画紙は滅多にないにせよ、そうした身振りが(そこにない)匂いを誘発することもあっただろう。
 

ということは、裏がなくなれば、写真は別のものになることができるのかもしれない。今まさに写真は、そのようなものになりつつあるのかもしれないし、それは、ぺらぺらでも、ひらひらでも、すかすかでもないのかもしれない。

 

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