カメラを持って動きながら撮る、それがスナップ写真である。
この簡単すぎるくらい簡単な形容は、ある問いを浮かび上がらせる。
それは、動くというのは、どういうことか、という問いである。いうまでもなく、動いているということは止まっていないということだが、その境目はどこにあるのだろうか。
歩いていて、ふと立ち止まって撮る。これは、ごく普通のスナップ写真の撮り方であり、動きながら撮るという範疇であろう。歩いていて、気になるものがあり、じっと立ち止まって撮る。あるいは、じっと立ち止まって、しばらく観察してから撮る。このくらいの場合はどうだろう。
そうしたシーンを思い浮かべて考えてみると、動きながら撮るというのは、動きながら撮ろうとするということであり、じっさい撮るときには、動いていようが止まっていようが関係なさそうだということがわかる。フィルムの感度が低かったり、高速シャッターが切れない条件では、撮る瞬間には止まっていないとブレブレの写真になってしまうのだから、当然といえば当然のことである(もちろん動いてブレブレの写真にするのもアリである)。
動きながら撮ろうとすることが重要ならば、動きながら撮ろうとするだけで動いていない場合はどうだろう。自分も動いていない、対象も動いていない、しかし、動きながら撮ろうとする意識で撮るのは、スナップ写真だろうか。たとえば、カフェのテラスに座ってカメラを触っていて、目の前の風景にハッとして(あるいはただ漠然と)シャッターを押すような場合はどうだろう。こうしたシーンはめずらしいものではなく、割とよくあるように思える。
では逆に、まったく動いていないだけでなく、動くという意識すらなく撮るようなことはありえるのだろうか。ある場所のある風景を狙って三脚を据え、望むシーンが撮れたらそれで満足して終わりにするような撮り方もないわけではないだろう。とはいえ、行きや帰りに撮りたくなるシーンに出会っても、まったく撮らないというのは、かなり割り切っていないと難しい気もする。
どんなにカメラが止まっていても、いつの間にか気持ちが動き出してしまう。小型カメラの登場によって、動きながら撮ることが可能になったのは、それ以前のことが思い出せなくなるくらい大きな変容だったのだろう。おそらく、人間の意識の根源が変わったのである。
カメラを持って動きながら撮る。たとえ自分が動いていなくても、意識が動きを感じている。まったく動いていないように見えるシーンでも、変化がないわけではないことを意識するようになったのだ。
こんなふうに描写すると、なにやら難解な感じもする。
そもそも、スナップ写真をめぐるのに、こんな小難しい話が必要だろうか。必要ない、と私も思う。
そして、このようなことをまったく考えなくても、小さなカメラを持つだけで、すでに意識が変わっていたことを知らせてくれるのがスナップ写真の(懐かしき)革新性だったのだろう。
目の前の物事に集中することもなく、気もそぞろでソワソワフラフラしている。いつもなにかを探しているようだが、なにを探しているのかさっぱりわからない。それが、動きながら撮ることに魅了されてしまった人の在りようかもしれない。
それゆえ、カメラを持ったら動きながら撮る。
別にそこに理由はない。
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