(承前)
少し歩いて大きな県道に出ると、ちょうど乗りたかったバスがやってきた。バス停数個分、10分くらいの乗車だったが、客層が異なっていて新鮮だ。降りたところにあるレストランに入り、遅めのランチを注文し、ビールを飲む。チェーン店だが、どこにでもあるレストランではないので、ここも新鮮だった。
かつてこの場所に幾度となく来たときは、このあたりから帰ったものだった。ほんとうにひさしぶりに来たが、今日は、逆のルートから向かうことになる。雑誌なども、巻末から見るのが好きだが、同じような感覚かもしれない。
以前は空き地が広がっていたが、現在は高級そうな住宅が建ち並んでいた。といっても、新しいわけではなく、数十年は経っていそうな建築だ。ということは、私が前回ここに来たのは、数十年以上前になるのだろう。
ここから小高い丘に登っていく道の左手には、神社がある。以前からあったような気がしたが、ほんとうにあったのか。空き地のなかにポツンと神社だけがあるなんていうことがあるのだろうか。こんもりとした茂みがあっただけなのかもしれない。
坂道の路面も、石垣も、手すりも、以前のままのような気がするが、これもまた、記憶を作り出してしまっているのかもしれない。石垣と手すりは、たしかにかなり古いので、あえてそのまま残し、路面もそれに合わせたような素材を使ったといった可能性もあるだろう。
公園として整備されたこの場所はすっかり変わっていたが、丘の起伏はほとんどそのままで、高台から見える光景も変わっていなかった。裏手の林の彼方に見えた自由の女神もそのままなのが懐かしい。以前、モノクロの中判で撮ったときには、自由の女神が白く照らされているの対し、手前の緑が暗く沈むので、プリントが難しかった。
犬の散歩をする人、斜面に座る若者など、のどかな時間が流れている。ところどころに設置された案内板には、この場所の歴史が記されているが、それを気に留めている人は誰もいないような雰囲気が、かえって歴史を物語っているような気もした。
この場所にはじめて来たのは、かなり昔のことになる。まだ十代のころだっただろう。地名だけを頼りに訪れたのだろうが、バスに乗った覚えもないので、けっこう離れている最寄ともいえない駅から、地図だけを頼りにやって来たのかもしれない。
それは夏の暑い日で、ようやく辿り着いたこの場所は、雑草が生い茂るだけの空き地で、期待外れのような気持ちと、当然そんなものだろうという気持ちと、訪れるという目的は果たしたので帰りたい気持ちが入り交じり、喉が乾いていたことを覚えている。
その頃は、ペットボトル飲料といった気の利いた飲み物はなく、駅かどこかの水道で生ぬるい水を飲んだのだろう。暑いといっても、いまのような暑さでもなかったので、うろうろ歩くこともできたのだろう。
ふたたび訪れたのは、何年もあとのことになる。当時住んでいた場所から、スクーターで行けそうだとある日急に思いつき、とりあえず向かってみたのだと思う。思ったよりも時間がかからないことがわかって、何もするようなことがない日には、撮影に行ってみるようになった。
相変わらず、雑草が生い茂るだけの空き地であることに変わりはなかったが、丘に向かう坂道があるのを見つけ、ひょっとしたら入れるかもしれないと思ったのだった。スクーターでなければ、そこを上ってみようとは思わなかったに違いない。
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