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考へるピント

10 その場所はいま

2022/10/10
上野修

コロナ禍でステイホームな時期に、昔撮ったリバーサルフィルムをスキャンし、データ化していた。

 

写された光景を数十年ぶりに見ると、その場所はいまどうなっているのか、知りたくなる。Googleストリートビューで探してみると、撮影した多くの場所を、思いのほか簡単に見つけることができるのに驚いた。
 

標識や看板などは、大きな手がかりになる。地名や店名を検索して情報が得られれば、すぐに住所もわかる。
 

それは当然だが、ほとんど手がかりがなさそうな場所も、あいまいな記憶を手がかりに大まかな地形を思い出し、それに当てはまりそうな地点を探していくと、あっさりと見つかることもあった。3D表示にすると、似たアングルを探ることさえできる。

 

こうして、かつて撮影した場所をゲーム感覚で探るのは、楽しい。楽しいのだが、不思議なことに、見つけてしまったあとには、撮影した写真が、なんとも味気ないものに見えてくる。
 

撮影したときの私は、未来にその場所をこうして見つけることを知らなかった。パーソナルコンピュータくらいは知っていたが、インターネットも知らなかった。座ったまま、トラックパッドを触るだけで、世界中のあらゆる光景を探ることができるようになることも知らなかった(あらゆるというのはいいすぎかもしれないが、私が行ったことがあるような場所は、Googleストリートビューで見つけることができた)。

 

にもかかわらず、Googleストリートビューで現在の光景を見つけると、かつて撮ったのは、こうして見比べるためだったようにも思えてくる。写真は光景を見比べることを可能にするが、だからといって、見比べるためだけにあるわけでもなければ、見比べることが必ず面白いわけでもない。

 


 

同じ場所の写真が二枚ある。すると、どうしても見比べてしまう。類似と差異に囚われるのは人間の業のようなものだが、強迫観念のように差異を探り、見つめ続けてしまう。
 

Googleストリートビューが可能にしたことのひとつは、このように、あらゆる場所の写真を定点観測のように見る、ということであった。それはつまり、あらゆる過去の写真の光景が味気ないものになっていくことでもある。
 

もっとも、Googleストリートビューというのは、わかりやすい例であって、これだけ写真がコモディティ化してしまえば、遅かれ早かれ、あらゆる写真が定点観測のように見えてきてしまうのは、必然だったのかもしれない。
 

その場所はいまどうなっているのか、思いを馳せる。あいまいな記憶のかたちが思いとともに変わっていく。定点観測的な写真は、このあいまいさを整理してしまう。一度、整理されてしまうと、あいまいさを思い出すことができなくなる。
 

このあいまいさもまた、写真の魅力なのだ、といったことがいいたいわけではない(いずれにせよ、写真はあいまいではいられない)。味気ないという表現をしたが、あいまいさが整理され味気ないものになっていく瞬間には、苦さと爽快感が同時に訪れるような不気味さがある。まずはこの不気味さを指摘するにとどめておこう。

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