コンビニなどでバーコード決済を使おうとして、うまく読み取れなかったとき、店員さんがバーコードリーダーを軽くトントンとリズミカルに叩き、読み直すことがある。それでも読み取れない場合には、スキャン部を軽くなでてさらに読み直すこともある。そうして読み直すと、今度は不思議なことに、すんなり読み取れたりする。
不思議なことに、というのは、そんなしぐさに意味はなさそうに思えるからである。叩いて調子がよくなることはないだろうし、なでてきれいになることもあるかもしれないが、逆に汚れがつくこともあるだろう。
では、たんに何度も読み直してみた方がいいのだろうか。かざしてもかざしても読み取れないとお互いイライラしそうだし、なんとも間が持たなくなりそうだ。トントンしたり、なでたりするのは、間を持たせるというか、調子を取るしぐさなのかもしれない。だとしたら、あながち簡単に否定できるものでもないだろう。
叩いて直すしぐさで思い出すのは、ブラウン管テレビである。映りが悪いときに、トントンと叩くとなぜか直ることがあった。トントンでダメなときはドンドン、ドンドンでダメなときはガンガン叩くと直る。それでもダメなときは違う人が叩いてみると直ったりした。お父さんじゃダメ、お母さん叩いてみて、といった具合である。
ブラウン管のカラーテレビが真空管だった時代は、横や後ろに空いている穴から覗き込むと独特の匂いがして、ほのかな光が見えた。小さな子どものころは、中に人がいるような気がしていたし、ブラウン管を斜めから覗くと、見えないアングルも見える気がしていた。そんなふうに思っていたのだから、叩くと直ることになんの疑問も抱いていなかった。
昔のラジオも、遠くの放送局を聞くためには技が必要だった。私が住んでいた地方都市では、ノイズがない状態で受信できるのは、NHKと地元局くらいで、東京の放送局はぎりぎり入るか入らないか、くらいの感じだった。ラジオやアンテナの向きを変えてみるのは当然のこととして、窓際に持って行ったり、さらにアンテナに手を触れたままにしたりした。これもなぜかうまく受信できる人がいたものだった。
同世代の有名人が、深夜放送のオールナイトニッポンに強烈な影響を受けて育った思い出話をしばしばしている。そういう話を読んだりすると、どうして自分はそれを聞いてなかったのだろうと思うが、そもそもニッポン放送はほとんど受信できなかったのである。とはいえ、深夜の放送時間になると入りがよくなる局もあるので、がんばって起きていることもあった。運よく電波もそこそこ入り、やっと聞けると思ったら、外国語の放送が混信してがっかりしたことも、一度や二度ではなかった。そういったことによって聞ける番組が決まり、受ける影響も変わっていたに違いない。
カメラはどうだったろうか。一番普及していた35mmフィルム用のコンパクトカメラでも、フィルム装填を失敗したり、巻き戻さずに蓋を開けて感光させた経験は、めずらしくなかったはずだ。自信がない人は、現像に出すカメラ屋で、フィルムの巻き戻しと装填をしてもらう場合もあった。現像して仕上がったプリントを取りに行くと、カメラ屋のオヤジが、袋から現像済みのネガとプリントを取り出し、よく写ってましたよ、と教えてくれたりした。当然ながら、カメラ屋のオヤジは写真をすべて見ていて、なんなら聞いてないのにアドバイスまでしてくれたのである。
叩くと直るテレビ、ノイズだらけのラジオ、もれなくカメラ屋のオヤジのチェックがついてくる写真のプリント、どれもまったく懐かしくはないが、そこでの身体性こそが私にとっての根底的な経験だったような気がしてならない。
というのも、テレビやラジオや写真の内容はすっかり忘れていても、それらの経験はありありと覚えているからである。
PCT Membersは、Photo & Culture, Tokyoのウェブ会員制度です。
ご登録いただくと、最新の記事更新情報・ニュースをメールマガジンでお届け、また会員限定の読者プレゼントなども実施します。
今後はさらにサービスの拡充をはかり、より魅力的でお得な内容をご提供していく予定です。