考へるピント

40 3枚の写真

2024/05/13
上野修

1枚目の写真は、スナップショットの名作として、よく知られている。
 

その写真は「板塀」と題されており、文字どおり板塀が画面の大部分を占めている。板塀からは2つの庇が出ており、その下には郵便ポストと、掲示板らしきものが設置されている。
 

塀の前に、というか、塀に食い込んでいるようにも見えるくらいの位置に、根が盛り上がった木が2本生えている。1本は画面の真ん中を貫き、もう1本は画面の右端にある。地面は土であろう。
 

このような記述は、ほとんど意味がないかもしれない。
 

というのも、画面の左端に写っている馬の尻尾の印象があまりに強烈なので、それ以外は背景のように見えてしまうのである。あえて形容するなら、馬の尻尾と板塀、という写真に見えるのだ。
 

じっさい私は、この写真をそのようにしか認識していなかった。そして、板塀や郵便ポストの意味を知ったあとでも、その見え方が根本的に変わることはなかった。
 

なるほど、板塀や郵便ポストは、時代や社会を物語っているのかもしれない。しかし、あまりに中途半端な左端の尻尾が、そういった意味を背景へと押しやってしまうのである。
 

正確にいうなら、左端に写っているのは、馬の後ろ脚と(尻と)尻尾である。ほかの動物でこのような写真がありうるだろうか。牛や豚、犬や猫などの後ろ脚と尻尾だけが、画面の端に写っている写真は成立するのだろうか。
 

そのような写真は、見たことがないような気がする。馬の後ろ脚と尻尾の写真も、この写真以外はなさそうだ。そんなふうに考えてしまうのは、この写真の中途半端さが、(奇妙なことに)撮影者の独創性に結びついてしまっているからだろう(たとえば、コンテンポラリーの写真家による、馬の後ろ脚と尻尾が画面の右端に写っている写真があるのだが、あまりに「板塀」に類似しているので、明らかにオマージュであるように見えてしまう)。
 

2枚目の写真は、近代写真の名作として、よく知られている。
 

その写真は「馬と少女」と題されており、異なった幕のような背景が画面を分割している。左側がやや広く、したがって右側がやや狭い。左側には馬の顔と首が写っている。胸と前脚も少し写っており、横顔のポートレイトのような趣がある。右側には、箱に座った少女がふたり写っており、ひとりの視線はこちらに向けられ、もうひとりの視線は馬に向けられている。
 

右を向いている左側の馬、左を向いている右側の少女のひとりが左右の世界を結んでいるが、左側と右側を分割しても、それぞれ縦位置の写真として成立するような見事なバランスである。
 

左側の馬が、どこまでフレームから外れたら、バランスが壊れるのだろうか。競馬のような表現をするなら、クビだろうか、アタマだろうか、ハナだろうか。
 

あらためて、このようにめぐってみると、当然ながら、後ろ脚や前脚と、尻や胸など胴体が少しでも写っていることがポイントであることがわかる(とはいえ、頭だけ、尻尾だけでは絶対に成立しないわけでもないだろう)。
 

ところで、馬の尻尾側、頭側だけが写った名作があるのなら、胴体を主題にした作品はないのだろうか、と考えて思い浮かぶのが、3枚目の写真である。その写真は「果てしのない馬」と題されており、合成によって胴体が長く伸ばされている。
 

よく知られたアーティストの著書に、視覚の実験の例として収録されているのだが、なぜこのような写真が制作されたのかはわからない。制作者の独創性に結びつきようがないかもしれないということが、ほのかな不安を招き寄せている気もする(独創性に結びつかない中途半端さともいえるだろう)。
 

ここでもう一度、はじめの問いに戻ってみよう。なぜこれらの写真は、馬であって、牛や豚、犬や猫などではなかったのだろうか。
 

言及した3枚の作品・写真を、制作・撮影順に並べるなら、ここに記述したのとは逆に、3枚目の写真が一番古く(ほぼ一世紀前)、1枚目の写真が一番新しい(といっても約70年前)ということになる。そして、その順番で見てみると、馬と時代や社会との関連が、よりくっきりと照らし出されることになるだろう。
 

だが、すでに書いたように、その答えは私を満足させてくれないのである。
 

なぜなら、ここでの問いは、愚問であることにこそ意味があるからだろう。
 

いいかえるなら、牛や豚、犬や猫などの後ろ脚と尻尾だけが、画面の端に写っている写真は成立するのだろうか、というような愚問を許すことこそが、中途半端な左端の尻尾の写真が生み出した(撮影者とは無縁な)独創性であるような気がするのである。

 

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