考へるピント

59 押切

2025/02/03
上野修

いつだったか、シャッターは切るものか、押すものか、という会話をしたことがあった。他愛もない雑談だったのでよく覚えていないが、切る方が意図的、主体的で、押す方がそうしたニュアンスが薄い、というようなことが前提にあった会話だったように思う。
 

その、シャッターを切る、という表現が若い世代には通じなくなっているらしい。
 

ちょっとシャッターを切っていただけますか?、と頼んでも、キョトンとされてしまうというわけだ。と、書いてみて気づいたが、そもそもそんな頼み方をしたことがあるだろうか。少なくとも私は、いわれたことも、いったこともない。
 

ちょっとシャッターを押していただけますか?、だったらどうだろう。これならそんなこともあった気がしないでもない。しかし、じっさいに多いのは、ちょっと写真を撮っていただけますか?、くらいの表現かもしれない。そうして頼んで、シャッターはここです、とカメラなり、スマートフォンなりを渡す。
 

だんだんわからなくなってきたので、検索してみたら、NHK放送文化研究所の「ことば・言葉・コトバ」というコラムに、ズバリ、「シャッターを「切る」」というものがあった。
 

もともと、切るという言葉が多義的であることをめぐりつつ、シャッターを切るという表現の解釈がひとすじなわではいかないことが綴られている。そのなかで次のような説が紹介されている。

 

 そんな中、ある辞書では、「閉まっているものを開ける」というとらえ方をしていた。つまり、「手紙の封を切る」と同じだ。「シャッターを切る」は、「閉まっているシャッターを開けて、一定時間、光を取り込む」ことを表しているというわけである。

 

 

かなり説得力がある解釈だが、いまや手紙の封を切ることも滅多になくなった。このコラムが書かれたのは2016年なのだが、今の時代を予見した一節で結ばれているのはさすがである。

 

 最近、若い世代を中心に、シャッターを「押す」という言い方が増えてきているように感じる。もしかすると、やがて、いつかはシャッターを「切る」が通じない時代がやって来るかもしれない。

 

さらに検索していたら、毎日新聞校閲センターの「きょうの直し」(2017年)というコーナーで、「シャッターを押す」という表現が取り上げられているのを見つけた。
 

こちらは、シャッターは切るものであり、押すならシャッターボタンとすべきと指摘しつつ、スマホだったら「「タップする」という感じ?」と綴っている。
 

そうだとすると、シャッターが切れてしまうことはあっても、シャッターボタンが押されてしまうことはなさそうなので、ボタンを押す方が主体的な気もしてくる。
 

といっても、冒頭の会話の前提はそのように検討した結果ではなく、切るという感触じゃないから押すにしておくか、押すという感触じゃないから切るにしておくか、という程度の判断にすぎなかったように思う。
 

ところで、押す、といえば、推敲という言葉がある。「僧は推す月下の門」という一句の「推す」を「敲く」にしようかと迷ったことが由来の故事成語だが、ならば、シャッターを押すか切るかで迷うのは、さしずめ押切か。
 

「僧は推す月下の門」の「推す」が押すの意だというのは興味深い。今や推しの時代なのだから、いっそシャッターを推すという当て字というか新語を広めてしまうのがいいのかもしれない。たとえば、スマホのシャッターボタンを推す、というふうに使ってみると、なかなかハマっている感じもするが、いかがだろうか。

 

関連記事

PCT Members

PCT Membersは、Photo & Culture, Tokyoのウェブ会員制度です。
ご登録いただくと、最新の記事更新情報・ニュースをメールマガジンでお届け、また会員限定の読者プレゼントなども実施します。
今後はさらにサービスの拡充をはかり、より魅力的でお得な内容をご提供していく予定です。

特典1「Photo & Culture, Tokyo」最新の更新情報や、ニュースなどをお届けメールマガジンのお届け
特典2書籍、写真グッズなど会員限定の読者プレゼントを実施会員限定プレゼント
今後もさらに充実したサービスを拡充予定! PCT Membersに登録する