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考へるピント

73 その場所が その1

2025/08/18
上野修

その場所がどうなっているのか、一度行ってみなくてはならない、と思いつつ、ずっと先延ばしにしていた。
 

コロナ禍の間にと思っていたが、暑いから、寒いから、天気がわからないから、など、行かない理由は無数にある。年間に数えるほどになってしまった心地よい天気の日は、他にやりたいこともある。
 

電車とバスを乗り継ぎ2時間弱だが、交通費は千円もかからないという、近くも遠くもない、いつでも行ける距離は、いつまでも行かない距離でもあった。
 

ようやく重い腰を上げたのは、新型コロナの感染症法上の位置付けが5類に移行する少し前の休日だった。20度台前半の晴れで、年に数回の心地よい日だったといっていいだろう。
 

行くとなれば、出かける時間を先延ばしにすることはない。それなりに早めの時間に出発し、終点からひとつ前にある目的のバス停には、午前中に着いた。

 

これまでにも何度か撮ったことがある、バス停の横の空き地を撮ることからはじめた。ここは、はじめて訪れた時から空き地だった。とはいえ、草が生え放題というわけでもないので、定期的に手入れされているのだろう。
 

敷地沿いに歩き、ランドマークになっている大きな建築物をさまざまなアングルから眺め、また敷地沿いに歩く。敷地は広大で複雑なかたちをしているだけでなく高低差もあり、撮りたいと思っている住宅地が見えるポイントは限られているので、途中で疲れて飽きてしまったりして、細かく歩いたことがなかった。
 

この場所に来るのは、今日が最後かもしれないと思い、できるだけ丁寧に歩こうとする。古びたエリアもあるが、途中、迷い込んだ路地では、高級車の隣で大型犬3頭と遊ぶ人がいたりして、裕福なエリアも混在しているのだなと思った。
 

アップダウンを繰り返す曲がりくねった細い道を抜けると、もっとも住宅地に近づけるU字というかV字の道に囲まれた場所に着いた。
 

そこには、もう何もなく、ただ空き地が広がり、撤去されていない電柱だけが残っていた。
 

住宅の解体が進んでいるという話を幾度となく見聞きしてからしばらく経っていたので、当然といえば当然である。もう少し残っているかと思ったが、そんなことはなかった。かといって、すっかり整地されているわけでもないので、名残を感じることができなくもなかった。呆然としつつ、写真を撮る。
 

V字の道の片方の突き当たりまで歩く。かつてこの場所に来たときには、なぜか大きなサイズのアンダーウェアがフェンスに引っかかっていた。何度か来たが、一年間くらいそのままだった。そのうちの一回は、深夜にドライブし、朝方にここに来たときだった。
 

もちろん、そのアンダーウェアも今はあるはずもなく、突き当たりの坂を少し下ると、なだらかにカーブする道の左右で、最後の解体がすすむ住宅地が見えた。そこには、痕跡になった光景と、痕跡になりつつある光景があった。
 

痕跡に向かってシャッターを押す。おそらくこれが痕跡を記録するということなのだろう。なくなりつつあるもの、なくなってしまったものを撮る。すると、何もないからこそ、その場所の意味が浮かび上がってくる。
 

いや、それは(私にとって)明らかに嘘である。痕跡とは解釈であって光景ではないし、そうであるなら、解釈としての痕跡を記録できるはずもない。解釈と記録はメビウスの輪のようなもので、両者を行ったり来たりしているうちに手応えが生まれ、それを痕跡といってみたりしているだけのことだろう。
 

いや、それも明らかに嘘である。嘘とわかりつつ、それに抵抗しつつシャッターを押す。そもそもシャッターを押すとは、そのようなことではなかったのか。
 

いや、これもやはり嘘だろう。嘘からまことが出るのを期待したような言い回しにも、よすぎる天気にいささかうんざりして、高台からの細い階段を下りていった。

 

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