持っていたことも忘れていたようなアルバムを開いてみたら、写真がかなり退色していたことに驚いた。
それらの写真は1980年代前半のものなので、40年ちょっと前のものということになる。
そのアルバムは、弱粘着の台紙に写真をレイアウトし、その上からフィルムでカバーするタイプのものであり、空気に触れない分、保存性がよさそうなだけに意外だった。
よく見てみると、退色している写真は、海外で現像、プリントしたもので、日本で現像、プリントしたものは、ほとんど退色していないようだった。ということは、アルバムの原料などは問題がなく、現像、プリント処理が主な要因ということか。
ほかの写真はどうだろうと、適当に箱に入れてあるサービスサイズの写真を取り出してみた。1980年代以降の写真で退色が顕著なものは、あまりないようだ。1970年代になると写真によっては退色が進んでいるものもある。
もっとも、プリント年がわかる写真の方が少ないので、経年と退色の関連は、はっきりとはわからない。写っているもので、だいたいの時期はわかるものもあるが、ほとんどわからないものもかなりある。にもかかわらず、プリント年がはっきりわかる場合があるのは、余白に年号が印字された写真もあるからである。
そのなかに、「-1985- 百年プリント」という印字のものもあった。「百年プリント」のプリント袋も残っていた。そこには次のようなフレーズが記されている。
新登場
100年間、新鮮カラー。21世紀の色。
サクラカラー
百年プリント
サクラカラーSRプリント
サクラカラープリントは、すべて百年プリントです。
1980年代半ば、21世紀は遠い未来と感じていたように思う。たった15年ほど先のことなのに、なぜなのだろう。15年先が遠い未来なのだから、100年間は永遠のように感じていた。「百年プリント」というネーミングは絶妙で、永遠に残る写真という概念がいきなり身近になったように思えた。
永遠といえば、音楽CDが登場したのも1980年代だった。登場したころは、半永久的に劣化しない夢のメディアのようにいわれていたように思う。現在の私たちは、じっさいにはどうだったかという結果を知っている。CDは、保存状態によっては数十年で劣化してしまうが、それ以前に、CDプレーヤーすら持っていなかったりする。
レコードがCDの売り上げを抜いたというニュースもあった。CDの登場で衰退していくといわれていたレコードの方が、しぶとく残っているのも、予想されていなかったことである。とはいえ、むろん、かつてのようにレコードが主流になることはありえないだろう。
どれほど保存メディアの性能が向上しようとも、人間の方は変化していく。一度衰退していったメディアでも、それに触れたことがない人たちが、新たな意味を見出していくこともあるだろう。あれほど忌み嫌われていたノイズや傷などでも、温もりがある味わいとして経験されることもあるだろう。
半世紀経たないくらいでも、このくらいの変化や揺らぎがあるのだから、100年というのは、長すぎる区切りかもしれない。100年保存する、といっても抽象的だが、30年保存する、というと、急に現実味を帯びてくる。30年間責任を持って保存し、次の時代に託す、と考えると、生々しい。
1995年の写真を30年後の今、どう扱い、どう残していくのか、今の写真を30年後の2055年に向けて、どう扱い、どう残していくのかというのは、なかなかの難問であるように思える。



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