top コラム考へるピント5 1983のモザイク その1

考へるピント

5 1983のモザイク その1

2022/04/18
上野修

1983年という年が気になるようになったのは、いつの頃からだろう。
 

「『1983』のための覚え書き」という原稿を2013年に書いたことがあるのだが、それからもう10年近く経ってしまった。今回は、その続きを書いてみようと思う。
 

1982年11月30日、マイケル・ジャクソンのアルバム『Thriller(スリラー)』が発売され、ビルボード誌の週間総合アルバムチャートで通算37週の1位を獲得した。アメリカの音楽専門チャンネルMTVが1981年に開局し、1983年、「Billie Jean(ビリー・ジーン)」のMV(ミュージックビデオ)が大ブレイクしたのはよく知られている。アメリカではケーブルテレビが普及していたが、日本の若者たちは、どこでそれを見たのだろう。
 

テレビ朝日系の洋楽番組『ベストヒットUSA』の放映開始も1981年、しかし時間は深夜帯。テレビ神奈川(TVK)でもMVが流れる番組があったが、こちらは視聴エリアが限られている。それでも、マイケル・ジャクソンが1983年のモータウン25周年記念で披露したムーンウォーク、そして「Thriller(スリラー)」のMV(1983年)のゾンビ・ダンスは、日本でも流行りに流行った、ような記憶がある。もしからしたら、それらの映像は見たことがなくても、物真似を見て知っている、というような広がり方だったのかもしれない。
 

ソニーのビデオデッキ、ベータマックスの廉価機SL-J1が発売されたのは、1980年。廉価といっても、定価198,000円。1983年のSL-F3が、定価145,000円。手軽に買えるものではなかったが、じわじわ普及していったビデオで見た人もいたのだろう。
 

『音楽が未来を連れてくる』で榎本幹朗は、アメリカにおける1983年の光景を、次のように描いている。

 

 そして1983年が終わった。米レコード産業の売上は久々のプラス。前年比5%増だ。ビルボードのTOP100のうち59曲がミュージックビデオがらみだった。わずか2年前には、アメリカの音楽会社はミュージックビデオを創っていなかったのに、だ。もはや疑いようがなかった。映像の力で、音楽メディアに歴史的イノヴェーションを起こしたMTVは、第2次音楽不況を終わらせ、レコード産業を救った。
 この後、日本の家電勢もMTVブームを後押ししていく。テレビを録画するビデオデッキの普及、そしてリーズナブルなカラーテレビだ。メイド・イン・ジャパンのテレビが席巻し、テレビが「家庭に一台」から「ひとり一台」へ向かったことで、ティーンズは気兼ねなくじぶんの部屋でMTVを視ることができるようになった。日本のテレビは、ティーンズの「I Want My MTV」を実現してくれたのである。

 

アメリカでは、テレビとビデオの浸透が早かったのかもしれない。日本においては、いつ頃、テレビが「ひとり一台」のものになったのだろうか。1980年代後半から1990年代にかけて、14インチや20インチ前後のカラーテレビが低価格化した時期かもしれない。テレビデオと呼ばれる、ビデオを内蔵したテレビなども普及していった。この時期は、バブル経済に重なっているので、若者の暮らしも一気に変わっていったのだろう。
 

「ウォークマン。MTV。そしてCD。3つのイノベーションは、停滞した音楽産業に再び高度成長をもたらした」と、榎本は同書で指摘している。
 

CD(コンパクトディスク)が登場したのは、1982年10月1日。世界初のCDは、品番35DP-1のビリー・ジョエル『52nd Street(ニューヨーク52番街)』、日本初のCDは、品番35DH-1の大瀧詠一『A LONG VACATION』だといわれている。
 

もっとも発売当初は、CDプレーヤーの価格も10万円台後半で、CDの方がLPレコードより価格も高かったので、なかなか普及しなかった記憶がある。じっさいには、1986年にはCDがLPレコードの生産枚数を逆転しているので、意外と早かったのかもしれない。私自身の経験としては、LPレコードとCDの移行期に、あまり音楽を聴かなくなってしまった。買ったCDラジカセやCDプレーヤーが故障することが多く、CDとはなんとも相性が悪かった。かといって、LPレコードを大切に聴き続けたわけでもなかったのである。
 

そんな例は少ないかもしれないが、テレビ、ビデオ、ウォークマン(と呼ばれるポータブル音楽プレーヤー)、CDを、どのように経験するか、かなり個人差があったのもこの時代の特徴かもしれない。ベータマックス対VHSのビデオ戦争も、1980年頃にはかなりベータが強かった気がしていたが、それは自分がベータ派だっただけで、そうでもなかったようだ。ともあれ、CDラジカセやCDコンポなどの小型化と廉価化によって、音楽が身近になったことは間違いないだろう。
 

CDの影響なのか、1982年には、ディスクカメラという、新規格のフィルムを使うカメラも登場している。ディスクといっても、無理やりディスク状にしたフィルムだ。15枚撮りで枚数も少なく、サイズも小さいので画質も悪く、ほとんど普及しなかったように思う。メリットは、薄いカメラが作れたというくらいでないだろうか。とはいえアメリカで、「このカメラ、かっこいいだろう!」という感じで使っている人を見たことがあるので、ちょっとした未来感はあったのかもしれない。
 

ところで、「Billie Jean」のMVには、カメラが並ぶショーウィンドウのなかのPolaroid Autofocus 660から写真が出てくるシーンや、パパラッチがフラッシュ付きのカメラを窓から構えるシーンがある。
 

これにつなげて、もう少し写真の話をするなら、パパラッチ的な取材による写真週刊誌のさきがけ『フォーカス』の創刊は1981年、『フライデー』の創刊が1984年であった。

 

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