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考へるピント

42 写真(と)製版

2024/06/10
上野修

写真製版という言葉が気になっている。
 

きっかけは、昨年、写真製版にまつわる展覧会を見たことだが、その後忘れたころに、20世紀初頭の美術学校で製版科や写真科が設置されたといった記述を目にすることがあり、また思い出したりしていた。
 

気になっているというのは、たわいもないことで、写真製版というのは、写真で製版することなのか、写真を製版することなのか、ということである。もちろん、プロセスとしては両者に差はないが、私は写真製版という言葉を印刷プロセスの用語としてまず知ったので、どうしても両者を同時にイメージすることができないのである。
 

そんなことを思いながら『写真製版技術小史』(鎌田弥寿治著)という本を捲ってみたところ、冒頭に明快な一節があった。

 

 写真製版技術とは、写真の技術を利用して印刷の版面を製作することである。

 

このことについて、少し後の「写真製版技術の台頭」という章に、次のような解説がある。

 

 前にもいったように、写真製版技術とは写真技術を利用して印刷用の版面を製版する技術であるから、現在の写真技術が発明されない以前には、ほんとの写真製版技術が世に行なわれるはずはない。しかるに写真技術の発明というのはきわめて近年のことで、活版印刷のように今から500年も以前に現在の写真技術があったものではない。したがって写真製版技術は、木版技術やその他の法による製版技術に比べて、はるかにはるかに弟分に属し、写真製版技術が誕生してやや実行に供せられたのは、まず今(1971年)から100年ぐらい前からと、大ざっぱにみてさしつかえがない。

 

印刷技術に比べ、写真技術の歴史は短い。それゆえに、写真製版技術の歴史も短いというわけである。とはいえ、その短い歴史の写真技術のなかでも、古い技術が活用されているので、新旧概念が交錯し、いささかややこしくなる。

 

 とにかく、写真の技術を利用して印刷版面をつくるためには、まず写真の技術を、やや根本的に理解せねば、ほんとの写真製版技術のことも理解できない。写真知識をもたずに写真製版をやろうというのは、あたかも山の知識をもたずに登山を楽しもうとするのと同じことで、危険千万である。
 とはいうものの、写真技術の発明から驚くべく進歩した現在の写真技術の全体を詳しく述べることは、これまた容易なことではないから、遺憾ながらここでは、そのきわめて概略をのみ記述する。でも妙なことには、製版技術に利用する写真技術は、写真技術の発明時代からほど遠からぬ時代、すなわち写真の初期時代のものが、今なお多く使われている。たとえば写真の印画法の一つにカーボン写真印画法と称するものがある。これは今から約100年以前に発明されたものであるが、この法を利用して今も盛んに印刷面を製造している。それが現在のgravure法である。

 

具体的な技術の解説が展開されていく「製版印刷に関係深い写真技術の進歩発展」という章では、たとえば次のような独特の名調子が面白い。

 

 以上のようにcollodion乳剤法を賞讃すると、この方法は立派なように思われるが、やはりそうはまいらない。この方法の一番短所は感光力の弱いことである。したがって実際は、この新法も一般の写真界から大歓迎を受けたものではなかった。しからば、そんなイカサマ者を何故、著者がここに紹介しようとしたかというと、この新法は一般の写真撮影には大したものでなかったが、写真製版界には相当長年間歓迎され、また大いに役立ったものであったからである。

 

続く「電子写真技術の勃興と半導体のこと」という章で、すでに現在の状況を予感させるような言及がなされているのも興味深い。

 

 ちょっと思い出したが、前に写真技術の進歩発達のところで、電子写真法などいうものを掲げたが、こんなものは、まだ現在(1971年)では、ほんの赤ん坊のような写真法であるが、さりとて将来には、どんな写真界の大立役者になるか予想はつかぬものである。そこで、この電子写真法のことにちょっと触れてみる。

 

 銀の力によらぬ新写真技術と聞いたら、銀塩を主体とする現在の写真感光材料を製造しつつある工業家が、とにかくびっくりするわけで、どうしたものか金属銀という先生は、その産出が減少したのか、あるいは一般銀の消費が増したのか、いずれにしても、近年その価格がしだいに暴騰し、全世界中の写真感光材料製造業者は、これに苦しんでいる。こんなとき、銀なし写真技術がもし生まれたら大変なことになる。とにかく、銀なし写真技術には今のところ半導体が必要である。

 

ここでいう、銀なし写真技術が実現し、じっさいに大変な変化が起きている現在、はじめに書いた、写真で製版することなのか、写真を製版することなのか、という写真製版についての問い(にもならないような引っかかり)は、ほとんど意味がないとはいわないまでも、意味がすっかり変わってしまっているに違いない。
 

逆にいうならば、写真で製版することと、写真を製版することの差異が気になっていた私がイメージしていた写真なるものは、ある特定の時代の産物にすぎなかったということだろう。
 

端的にいうなら、その写真なるものとは、印刷ではなく、印画として自立している(と思っていた)ものにほかならない。しかし、いうまでもなく、英語では、どちらもプリントなのだから、こちらの差異はどのような類のものなのか。これについては、また別の機会に考えることにしたい。

 

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