先日、ネットでひさびさにパフォーマンスアートで知られるヨーゼフ・ボイスという名前を見て、思い出したことがある。
1980年代のヨーゼフ・ボイスの来日は、ちょっとした社会現象になるくらい注目されていた。たしか、深夜のテレビ(民放の大人向け番組の文化コーナーだったか、特番だったか)で、コヨーテの鳴き声のパフォーマンスが放映されていて、友人の家で偶然見た記憶がある。
翌日、この鳴き声のパフォーマンスのモノマネが、ものすごく流行った。私たちは、二十歳前後だったと思うが、まるで小学生男子レベルである。いや、いまどきの小学生の方がずっとレベルが高いだろう。パフォーマンスの意味がまったくわからないまま、ただ鳴き声のモノマネだけしていたのである。
まったくわからないといえば、同じく1980年代のナム・ジュン・パイク展もそうだった。ビデオ・アートが注目されていた時代だったからだろう、とにかく絶対見た方がいいということで、上野の東京都美術館に出かけた。覚えているのは、テレビがたくさん重なっているインスタレーションの光景だけである。高性能で知られるソニーのトリニトロンが多かった気がする。そもそもテレビが高価だった時代なので、憧れのトリニトロンが積んであるのは壮観だった。という、作品とはあまり関係ない部分しか記憶に残っていない。
そういえば、2021年に閉館した原美術館の入り口には、ナム・ジュン・パイク作品のトリニトロンが電源が入らないまま設置されていて、それを見るたびに、なんだかほろ苦い気分になったものである。
トリニトロンといえば、1985年のつくば科学万博に設置された巨大モニターのジャンボトロンも見たことがある。会場の隅っこにあって、アート的な試みもやっていたようだが、一番盛り上がったのは、来場者を映していたときだった。自分たちが映ると、歓声があがる、というわけである。そしてそれよりも覚えているのは、周辺の駐車場に車を停めると、お土産を買うまで車を出させてくれない、といった便乗商法である。これは、さすがに問題になって新聞記事にもなっていたと思う。
さて、ここまでが記憶で書いてみた部分だ。
検索してみると、ヨーゼフ・ボイスの来日は、1984年で8日間滞在、6月1日には西武美術館でのヨーゼフ・ボイス展のオープニング・レセプション、6月2日には東京藝術大学で対話集会、といったスケジュールだった。西武美術館の展覧会の会期は、6月2日〜7月2日。西武百貨店池袋店12階に美術館があった時代だろう。この展覧会を見た記憶はない。しかし、西武美術館の入り口まで行って迷った結果、見なかった展覧会があったことは覚えている。もしかしたらボイス展がそれだったのかもしれない。
ナム・ジュン・パイク展の会期は、同じく1984年の6月14日~7月29日。6月2日の午後6時には草月ホールで、ヨーゼフ・ボイスとコラボレーションしてパフォーマンスを行っている。テレビで見たのは、この映像だったのだろうか。
そうだ、ナム・ジュン・パイクの白シャツにズボン吊りファッションも話題になっていたのだった。ナム・ジュン・パイクという名前の語感もいいので、ヨーゼフ・ボイスよりは親しみやすいような気がしていた。ヨーゼフ・ボイスの帽子とベストのファッションも印象的ではあったけれど。
ヨーゼフ・ボイスの展覧会と来日は、賞賛ばかりではなく、失望や批判も少なくなかったようだ。——と、このような事後的な情報によって、私の経験を上書きしていくこともできるだろうが、正直な感想は、すごいはずのものがさっぱりわからないという、それだけのものだった。
当時の私の態度は、理想的な鑑賞者からは程遠いものだっただろう。それどころか、鑑賞しているかどうかすらあやしいものだった。しかし、鑑賞者のなかにはそうした人間もいることは否定できない(とりわけ私は過去の自分自身なので、否定し難い)。そんな鑑賞者とはどのような存在なのか……、という問いにもならないような問いが、ボイスの名前を見ると、ささくれのように蘇ってくる。
当時の記念写真にちょうど情報誌『ぴあ』6月の号が写り込んでいた、と思ったら、これは1984年ではなく、1985年のもののようだ。3月から9月が会期だったつくば科学万博が載っていたかもしれない。
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