業務用のファックスを譲ってもらったので、私はかなり早い時期にファックスを持っていた。ファックスは電話回線を使う。会社などではファックス専用の回線を引いていたが、個人はたいてい回線が1本しかなかった。1990年ころは、たしか電話回線の設置に加入権が必要で7万円くらいかかったし、月々の基本料金も2千円くらいかかるので、2本目を引く余裕がなかったのである。1本の回線を使い回すために、手動でモジュラージャックを抜き差しして切り替えていると、ファックスから戻し忘れて、電話がつながらない状態になったりした。
そのころの電話というのは固定電話である。ということは当然、外出時には出られないので、留守番電話が必需品になっていた。格安で話題になったユピテルの留守番電話が2万円弱だった。高機能の留守番電話は4、5万円した気がする。外出時にファックスが送られてくると、留守番電話にピーヒョロロロロロという音が延々と録音されることがあった。外出先から留守番電話を聞くにはプッシュ回線の公衆電話を探す必要があり、ダイヤル回線の公衆電話でも聞くために、プッシュ回の信号音を出すトーンダイヤラーという装置を持ち歩く人もいた。外出先から留守番電話を聞いたら、ピーヒョロロロロロという音だったときのガッカリ感といったらない。
あるとき、外出時にはファックスを受け取ることができないので不便という話をしていたら、テルボーズなる電話とファックスの自動切り替え機が秋葉原に売っていると教えてもらった。これも2万円くらいだったが、すぐに買いに行った。検索してみたら、このテルボーズが今でも売っていて驚いた。発売から37年のロングセラーだという。
ファックスというのは、なかなか暴力的である。相手の都合で一方的に送られてくるし、そこにいなければ読むことができない。これが嫌だったので、ファックスを手放すのも早かった。
ワープロ専用機からパソコンに移行したのは、1998年の秋くらいだったようだ。パソコンを使うようになったのも、譲ってもらったのがきっかけだった。機種はたしか、アップルのMacintosh Performa 5220で、内蔵のモデムが14,400bpと低速だったので、パナソニックの56,000bpsのモデムを買い足した。このあたりの時期になると、パソコンがかなり普及していったので、原稿を送ることに関しては、ファックス送信やフロッピーディスクでの受け渡し、パソコン通信から、インターネットのメールでの送信になっていったように思う。
そうなると、外出先でどうやってメールを読み書きするのかが課題になってくる。そのために、NECのモデム内蔵のモバイルギアや、IBMのWorkPad(Palm)と外付けモデムを使ったりした。しかし、外出先に勝手に使える電話回線など滅多にない。ISDNのグレーの公衆電話があればモジュラープラグや赤外線通信でインターネット接続できたが、どこにでもあるわけではなかった。これでは、ファックスと同じくらい不自由である。そもそも、常時接続やプッシュ通知がなければ、メールが来ているかどうかわからないわけで、その点では、目に見えるファックスの方がまだマシですらある。
文字化けや添付ファイルといった問題に対応することも考えると、けっきょくはパソコンそのものを持ち歩くことが一番いいということになる。臨時収入があったので、1999年5月に発表されたアップルのPowerBook G3 Series (Bronze Keyboard)が出てすぐに買った。30万円くらいだったが、当時のPowerBookとしては前機種よりかなり手頃な価格設定で話題になっていたように思う。この機種も2.68kgとけっして軽くはなかったが、どうしても必要なときには持ち歩いた。それだけでなくPerforma 5220よりもはるかに速かったので、家で使うメインもこれになった。
私はファックスを手放していたが、このころの出版関係ではまだまだ使われていた。原稿をメールで送るのが一般化しても、校正のためのゲラの送受信に必要だったからだ。ようやくゲラもpdfで電子的に確認するようになったのは、2005年すぎではないだろうか。
しかし、こうしてようやくプロセス全体が電子化されていったころに、紙媒体自体の衰退がはっきりしてきたことは、いささか皮肉でもあるように思える。
PCT Membersは、Photo & Culture, Tokyoのウェブ会員制度です。
ご登録いただくと、最新の記事更新情報・ニュースをメールマガジンでお届け、また会員限定の読者プレゼントなども実施します。
今後はさらにサービスの拡充をはかり、より魅力的でお得な内容をご提供していく予定です。