2024年2月22日、東京株式市場の日経平均株価が、1989年12月29日の終値としての史上最高値3万8915円87銭を約34年ぶりに更新、3万9098円68銭まで上昇した。3月4日には、日経平均株価が続伸、4万0109円23銭で終え、史上初の4万円台をつけた。
かつて、日経平均株価は、1989年末をピークとして、1992年3月には2万円を割り込み、8月には1万5000円割れとなり、のちにバブル崩壊と呼ばれる株価暴落が進んでいった。とはいえ、1991年5月には、かの有名なバブルの象徴のディスコ、ジュリアナ東京がオープンしているのだから、時代の雰囲気を、ひとことで形容するのは難しい。
じっさい、自分がそのころどんな気分でいたのか、ほとんど思い出せない。ということは、さしたる区切りも感じずにいたのだろう。ここまでの短い話ですら、検索しながら綴ったものなのだから、後付けもいいところである。
振り返ってみると、1988年4月には東京都美術館で『1920年代日本展 都市と造形のモンタージュ』展が開催されている。絵画、彫刻、写真、建築、デザインなどを横断的に紹介する展覧会だったが、恥ずかしながら見てもさっぱりわからなかった。この展覧会について書く予定だったので、大阪から夜行バスで東京に戻った朝、もう一度見に行ったことだけを覚えている。
1986年にフランスのポンピドゥー・センターで開催された『Japon des avant gardes 1910-1970 (前衛芸術の日本)』展のカタログを見る機会があったので、諸文化を横断的に捉え返そうとする潮流があることは、なんとなくわかっていた。しかし、本当になんとなく、というだけだった。
1988年における1920年というのは、68年前、約2/3世紀前ということになる。34年前は、約1/3世紀前だ。これらを足すと約1世紀となる、などという計算をするまでもなく、1920年代は現在の約1世紀前である。なにをいいたいかというと、現在から約1世紀前の1920年代の文化を見るのと、1988年に約2/3世紀前の1920年代の文化を見るのは、かなり感触が違うということである。
現在から見る1920年代は、だいぶ見晴らしがいい。ある程度評価が定まっているということもあるだろうが、一番の理由は、完全に過去の歴史になっているという安心感があるからだろう(この連載の第31回「コンテンポラリー」で触れた、超越論的存命性とも関連するかもしれない)。
1988年から見る1920年代は、おそらくそうではなかった。2/3世紀という時間の長さでは、過去の歴史にならないということもあるだろうが、間に1940年〜50年代があることも大きいだろう。約1/3世紀前のその時代をどう解釈するのかということを避けてとおれないからである(その時代を縦断する『Japon des avant gardes 1910-1970』という横断を、ひとつの解釈と考えることもできるだろう)。
さきほど、今から約1/3世紀前、バブル崩壊へと向うころの自分の気分を思い出せないと書いたが、あまり思い出したくない、というのが正直なところなのかもしれない。バブル時代については、あのころは、みんなどうかしていたのだ、などといってすませてきたが、本当にどうかしていたのだろうか。
史上最高値を更新とか、4万円を突破というのは数字にすぎないが、数字というのは、どこか生々しい。そのざらざらとした生々しさは、(もっと楽しめ)と耳元で囁いているようで、なんとも不気味である。
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