SHIBUYA TSUTAYAが、2024年春のリニューアルに向け全フロア改装工事に入るのに伴い、10月16日にレンタル利用最終日を迎えたというニュースが流れていた。
SHIBUYA TSUTAYAは、TSUTAYAの旗艦店で、「映画・音楽・書籍コミック、ゲーム等のエンタテインメントコンテンツを買う・借りることができるマルチパッケージ・マルチユースストア」として1999年12月に開業したという。いまや東京を代表する観光スポットである渋谷スクランブル交差点に面したSHIBUYA TSUTAYAは、立地的にも象徴的な店舗である。そのSHIBUYA TSUTAYAの改装は、レンタル文化の終焉を象徴するできごとでもあるだろう。
とはいえ、すでにCDやDVDのレンタルを利用しなくなって久しい人も多いのではないだろうか。私が利用していた最寄りのレンタル店が閉店したのは、およそ十年前。閉店するころには、ほとんど行かなくなっていた。その後は、レアなCDやDVDをレンタルするために、新宿や渋谷のTSUTAYAを数回利用した程度だと思う。ある文化が終わっていくときは、終わっていくことも気にならなくなっているものなので、ニュースになっただけ、注目度が高かったといえるかもしれない。
私は、レンタルレコード黎明期を知っている世代だ。地方都市のマイナーな商店街の片隅にオープンしたレンタルレコード店を利用したのが、はじめてのレンタル経験だった。初期はチェーン展開されてない店舗が多かったこともあり、こういう商売はアリなのかというアングラ感があった。
LPレコード一枚のレンタルが、おそらく300円とか400円、1泊2日か2泊3日という設定で、学校帰りに借り、家でカセットに録音して返却する。しかし、レコードをカセットテープに録音するハードルはなかなか高かった。レコードプレーヤー、アンプ、スピーカー、カセットデッキを揃えたオーディオコンポは、10万から20万円したからである。
LPレコードをカセットに録音するのにも、スキルが必要だった。たとえば、LPレコードの再生時間が合計45分で、A面が21分、B面が24分だったとする。そのままでは、A面B面が23分で合計46分のカセットには入らない。レコードの曲順を変えるとか、曲間をツメるといった工夫が必要だった。最後の数秒が切れてしまうなど、うまくいかなかった場合には、はじめからやり直すか、あきらめるかである。
運よく一発で録音がうまくいった場合には、その日に返却すれば、50円か100円くらいを返してくれた記憶がある。そんなときは、たいていまた借りて帰ってしまうのだけれど。
当時の音楽用カセットは、500円くらいだっただろうか。レンタルと合わせると1000円弱。LPレコードは3000円くらい。ホンモノが3000円くらいで、アングラ感と若干の後ろめたさをを味わいながらの自作複製カセットが1000円弱。ものすごく得しているという感覚でもなかった。
ちなみに、黎明期のレンタルビデオは、1000円くらいだったと思う。こちらは、よほどの猛者でなければ複製しなかったはずだ。ビデオデッキが2台必要だったし、ビデオデッキからビデオデッキのダビングは、画質がはっきりと劣化したからである。
借りて返すだけでなく、返しにいってまた借りるうちに習慣になり、客が定着するのが、レコード、ビデオ、CD、DVDなどをレンタルするビジネスのうまみだろう。この形態は、写真の現像、プリントをするDPE店に通ずるものがある。プリントを取りに行くついでに、また現像に出したり、フィルムを買ったりする。レンタル店もDPE店も、こうしたループが途切れないように割引券をくれたものだった。
せっせと行ったり来たりしてカセットに録音したLPレコードには、当時の流行作だけでなく、一度聴いてみたかった有名なアルバムも多かった。録音して何度も聴くうちに、よさがわかったものもあれば、さっぱりわからなかったものもある。いずれにせよ、レンタルビジネスの登場によってさまざまな音楽に触れることが可能になり、大きな影響を受けたのは、私だけではあるまい。
1986年には、レンズ付フィルム「写ルンです」が登場し、同じころに、CDラジカセも登場した。これによって、写真と音楽というふたつの複製技術が、違った次元で身近になっていった。私のレンタル店をめぐる思い出は、ほとんどがこれ以前のものだということになる。
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