top コラム考へるピント7 1ドル360円だったころ

考へるピント

7 1ドル360円だったころ

2022/06/27
上野修

銀座のイエナ書店で海外の写真集を食い入るように見た、というよく聞く逸話を、この連載の2回目に書いた。今回は、その続きを書いてみよう。
 

晴美通り沿いの5丁目にあった近藤書店をエスカレーターで上がっていくと、3階がイエナだった。人気の定番の写真集は、ビニールカバーがかかった見本が平置きされいて、小口が薄汚れており、ページもボロボロになっていた。美談のようだが、いかに多くの人が、立ち読みですませていたか、ということでもある。
 

以前、なぜ、そんなに洋書が買えなかったのだろうか、と写真史家の方に話したところ、それは洋書の円ドルレートがずっと360円だったからだよ、とのことだった。単純計算で、40ドルなら14,400円になるわけで、たしかに安くはない。安くはないけれど、買えないほどの値段だろうか。
 

当時は、写真集を買うくらいなら、フィルムや機材を買いたいというような感覚だったのかもしれない。では、フィルムはどのくらいだったか。35mmの100フィート長巻モノクロフィルムが、4,000円前後で、ネオパン400がトライXよりやや安かったような記憶がある。
 

高い安いという感覚は、かなり相対的なものであり、こうした比較はきりがないので、このあたりでやめておこう。写真集やフィルムは、高い時代も安い時代もあるが、必要だったら入手するというシンプルな話でもある。
 

円ドルの360円の固定レートは1971年に終了して、1973年には変動相場制に移行している。個人的に印象に残っているのは、278円台まで上昇した1982年、1985年のプラザ合意によって、200円台からスタートして150円台になった1986年、120円台になった1987年から1988年あたりだろうか。
 

1986年のときは、ニューヨークで写真集をたくさん買って帰ってきた。割安だったということもあるが、日本では手に入らないような定番写真集が、あっさり見つかったからである。1988年頃は、明らかに割安で、アメリカに行く知人に何冊も購入をお願いして、迷惑をかけたのを覚えている。
 

こういう行動の背景には、航空機の手荷物の重量制限が甘かったとか、クレジットカードが普及していなかったとか、いろいろな事情もあるだろう。私の海外旅行の経験としては、1980年代の前半はトラベラーズチェックがメインだったが、後半はクレジットカードがメインになっていったような気がする。クレジットカードが使えるようになると、日本にいても、海外雑誌を割引価格で定期購読したり、写真集を通販で購入といった方法が使えるようになってくる。
 

話を戻そう。どういう入手の仕方をするにせよ、そもそもその写真集の存在を知らなければどうしようもない。東京都内でも、海外の美術書を扱っている書店が限られており、写真集はさらに限られていた時代において、イエナのような洋書店は貴重だったのである。
 

そうした洋書店が集まって、年末に浜松町の産業貿易センターで、洋書バーゲンセールが開催されていた。初日の朝イチには、さまざまなジャンルのプロや愛好家が押しかけ、争奪戦が繰り広げられていた。厚着したまま会場に入り、上着を脱ぐ間もなく掘り出し物を探して、汗びっしょりになった。
 

目ぼしいものはどんどんキープして、あとで吟味するという、バーゲンのお作法を学んだのもここだった。写真関係の先輩方もたくさん見かけたし、知らないだけで、各ジャンルの有名な方も来ていたのだろう。そういう平等な空間もよかった。数時間経って、先輩方が吟味して買わない本を戻すタイミングは、敗者復活戦のようなチャンスだった。宅配便配送も受け付けていて、利用するようになったが、これは手を出してはいけないことのひとつだった。配送が楽だからといって、本棚の空きが増えるわけではないからである。
 

この洋書バーゲンセールで、イエナ書店で何度も立ち読みしていた、ロバート・フランクの『The Americans』を入手したことがある。ボロボロで、数千円だったと思う。あまりにボロボロなので、しばらくして手放してしまったが、これは大きな失敗だった。
 

写真愛好者が立ち読みしてボロボロになった『The Americans』という、逸話が凝縮した写真集を手に入れる機会など、今後二度とないだろう。

 

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