(承前)
最近は、百貨店の屋上に立ち寄ることも少なくなった。というより、百貨店に行くこと自体、少なくなった。
この街の大型百貨店のひとつが閉店したのも、そんな世相を反映したできごとだろう。今、エレベーターに乗っている大型百貨店も、どこにでもあるようなチェーン店が多くを占めており、昔のような百貨店ではなく、ショッピングセンター化している。いや、ショッピングセンター化しているのが最近の百貨店なので、これはこれで百貨店らしいのかもしれない。
どこにでもあるような店に行くために、この百貨店のフロアを見て回る必要はない。逆にいうなら、どこにでもある店に行くためには、この百貨店を覗けばいい、というのが、ここに暮らす人の実感なのだろう。
途中階に止まるたびに、そんなことを考えていたら、すぐに屋上階に着いた。
日が暮れつつある冬の屋上は、閑散としていた。片隅で身を屈めている人が、一人か二人。季節外れの屋上は、こんなものなのだろうと思ったが、この場所は体験施設として活用されているらしいので、賑わっているときもあるのかもしれない。
36年前にこの街に来たときには、たしか、閉店した方の大型百貨店の屋上に行ったはずだ。そこには印象的な羊のオブジェがあり、どこかで見たそれを撮影した作品の真似をしたくて撮りに行ったのだった。
この屋上には、はじめて来たはずだ。しかし、今日一番の懐かしさを感じているのは、どういうわけだろう。屋上という場所は、懐かしさのかたまりのような場所だが、それだけではない気がする。この街、冬、うらさびしい日暮れ、帰り道という記憶が重なっているからかもしれない。
かつて幾度となく、この街で、JR駅から私鉄駅へ、私鉄駅からJR駅へと乗り換えたことがあった。なかでも忘れられない乗り換えがある。
JR駅から踏切のある私鉄駅へ向かい、乗り換えた私鉄線の終点のひとつ前の駅で降り、さらにバスに乗り換え、とある交差点のバス待合所に迎えに来てもらって村を訪ねた。帰り道は、村からバス待合所へ、という逆のルートになる。この街の踏切まで戻り、JRに乗り換えると、なんともいえない解放感があった。
ほんの少し後ろめたさが入り交じった解放感、そんな解放感を感じることのほんの少しの罪悪感を、今でも時折り思い出す。どんな解放感もそのようなものなのかもしれないが、私にとっては、踏切とともに、冬の日暮れどきの記憶に刻まれた新しい感傷でもあった、
じつのところ私鉄線に乗ったままでも都内に戻ることはできる。地下のターミナル駅である都内の終着駅は独特の風情があり、その駅で乗り降りすると、「サヨナラアナタ ワタシハヒヨリマス」という歌詞の替え唄を思い出してしまう。それが嫌なわけではない(というよりむしろ少し笑ってしまう)のだが、その終着駅まで行くことは滅多になかった。
踏切と私鉄線をめぐるそんな記憶のあれこれも、味気ない高架が洗い流してしまったようだ。結局、私は何をしに今日この街にやってきたのだろうか。
偶然の一致を必然として捉えるという願望は、行き場のない感傷となって、帰る場所がなくなってしまった。
JR駅から師走の東京駅に向かう電車に乗る。
またいつかこの街を訪れる日が来ればいい、と思った。
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