top コラム考へるピント43 写ってない

考へるピント

43 写ってない

2024/06/24
上野修

写ってない、といういい方がある。
 

下手で写ってないとか、失敗して写ってないとか、そういうことをいっているわけではない。
 

技術的には十分写っているのに、写ってない、というのである。
 

おそらくは、(大切ななにかが)写ってない、とか、(言葉にできないなにかが)写ってない、とか、そんなことをいっているのだろうが、大切なものが写ってないですよね、などと同調してみても、静かに首を横に振られそうである。
 

重要なのは、カッコの中がわからないこと、つまり、なにが写ってないかをいってないことなのかもしれない。それによって、いわれた側は、同調することも、問うこともできなくなってしまう。
 

ということは、むしろ、写ってない(ことがわかってない)、とか、写ってない(こともわからないのか)、といった後半の省略にこそ、ここでの真意があると考えることもできるだろう。
 

逆にいうと、写ってない、といっている側は、写ってない(ことがわかっている)と暗黙に示していることになる。この、わかっている、ということは弱みにもなるだろう。そんなに写っていることがわかってしまう立場というのは、どのようなものなのか。ひとことでいうなら、それは権威ではないだろうか。
 

写ることを見極めることができる権威などありえるのだろうか。写ってない、ということは、そうした権威性を露わにすることにもなるだろう。
 

そうであるなら、写ってなくて結構、大切ななにかが写ってないならなおさら結構、それでもなにかが写っているということこそが写真の本質ではないか、と反転することも可能になってくる。
 

こうして反転すると、こんどは、写ってないということを追求することが重要になってくる。写っている、ということは、権威に擦り寄るようでいささか恥ずかしいことであり、少しでも写っているならば、そこから離れ、写ってないことを競うようになっていくだろう。
 

だが、ここで気づくことがある。
 

写っている、の反転が、写ってない、ならば、写ってない競争もまた、写っていることがわかっていることになりはしないだろうか。写ってないことがわかるのが権威ならば、写っていることがわかるのも権威だろう。そして、写っていることがわかるのが権威ならば、写ってないことがわかるのも権威に違いない。
 

写ってない。写っている。写ってなくない。写ってなくなくない。写ってなくなくなくなく……、これってなんにもいってない?
 

こうなってくると、写っているとかいないとかは、もはや、所作や身振りの違いにすぎないのかもしれない。いずれにせよ、どちらもちょっと力みすぎな感もある。
 

これに対する第三の立場は、写っているとかいないとか(わかっているけれど)わからないというものであり、その反転は、写っているとかいないとか(わからないけれど)わかっているというものになる。
 

そして、いうまでもなく、この最後の立場こそが、ありふれた日常と呼ばれる現在を照らし出している。

 

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