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考へるピント

3 ワープロの話 その1

2022/02/07
上野修

インターネット老人会という言葉があるくらいなので、ワープロにいたっては、もはや化石なのかもしれない。今回は、そのワープロの話をしてみようと思う。


細かい背景は飛ばすとして、昔はワープロと呼ばれる専用機があったのである。ワープロソフトを搭載した専用機と説明してしまうと、ちょっと違う。というのも、ワープロ専用機は清書機というか、一般人がフォントを印字できる機械として使われることが多かったからだ。ワードプロセッサを略してワープロなのだが、ワードをプロセッシングするというより、ワードをプリントする役割が大きかったのである。


私個人の話をすると、ワープロを使いはじめたのは、かなり早かった方だと思う。一番はじめに買ったワープロは、東芝のJW-R55F。ステップという行徳の店まで買いに行った。ステップは説明・展示・交換・解約・無料サービスに応じない「5つのNO」で知られていた激安店で、この「5つのNO」のインパクトがよほど強烈だったせいか、検索すると今でもいくつかの記事がヒットする。


寒々とした冬の夕方に車で買いに行ったような記憶があるのだが、これは展示品がない独特の店の光景から、そういう記憶になっているだけなのかもしれない。1986年11月発売の機種だが、発売直後だったらそんなに安くなっていないと思うので、買ったのは1987年だったのだろう。5万円前後だったと思う。


ディスプレイはモノクロ液晶で、40字×4行表示。ガイド行が1行なので、一度に表示される文字は、たった120字。それでも私は、かなりワードをプロセッシングする用途で使っていた。ちょうどこのころ、依頼された原稿を書くようになったので、今まで手書きで原稿を書いたのは、数回しかない。


なぜそうした書き方をしていたかというと、アメリカにいたときに、Apple IIでワープロソフトを使って書くことを経験していたからである。Apple IIeを使った記憶があったのだが、時期的にApple II Plusも使ったかもしれない(Apple II時代のパーソナルコンピュータを使ったことがあるというのは、ちょっとした自慢話になるはずなのだが、そのタイミングでは気づいてなかったので、自慢する機会がないまま今日に至ってしまった)。


一度自在に文章の前後を入れ替えたり、書き換えたりできる利便性を知ってしまうと、それ以前に戻れない。日本語でもそういう書き方ができたらいいのにと思っているときに登場したのが、ワープロ専用機だったのだ。もちろん、手書きからの解放感も大きかった。


ワープロのプリントは熱転写方式で、専用のリボンがけっこう高かった。節約のために感熱紙を使っていた。感熱紙とは、現在レシートなどに使われている熱を感知した部分が黒くなる紙で、プリント用の大きなサイズが売っていたのである。120字はさすがに少ないので、感熱紙にプリントしつつ書いていた。

 

入稿もプリントしたものを手渡ししていた。ワープロ専用機のデータは独自形式で互換性がなく、保存方式は3.5インチフロッピーだった。おそらく電算写植が導入されていく前の時期で、データを渡すという発想もなかったように思う。


このような話は写真と関係ないと思われるかもしれないが、まったく関係ないわけでもないのである。


24ドットという荒い文字ではあるが、手元でフォントを印字できるというのは大きかった。荒ささえ気にしなければ、写植屋に頼まなくても、ポストカードなどの版下を自分で作れるようになった。ポストカードの印刷も、1000枚で2万円を切るような印刷所が出てきていたので、一気に手軽に作れるようになった。案内文やキャプションにも使えた。


ワープロという複製技術が手元にやってきて、写真という複製技術と結びついていったのである。などといったら、さすがに大げさすぎるだろうが、さまざまなものが急速に電子化していった時代だったことはたしかだろう。

 

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