考へるピント

45 匂いと音

2024/07/22
上野修

写真は匂いもしなければ音もしない、といういい方があるが、それを聞くたびに、ほんとうにそんなことを思っているのだろうか、と感じてしまう。
 

新幹線に乗って富士山を撮ったときの写真を見て、そのとき食べていた弁当の匂いを思い出す。飛行機に乗って富士山を撮ったときの写真を見て、ジェットエンジンの音を思い出す。このようなことは、よくあることではないだろうか。
 

逆に、新幹線や飛行機の窓から見える富士山を、写真には目の前の現実しか写らないがその客観性に徹してみよう、などと思って撮ることなどあるのだろうか。
 

そろそろ富士山が見えるかもしれないと待ち構え、富士山が見えてきたら嬉々としてシャッターを押し、今の時代ならソーシャルメディアに即座にアップしたりする。そのとき、なにを考え、なにを伝えたくて撮っているのか、と問われても困るだろう。
 

高速で移動する交通機関の窓からタイミングよく富士山が見えた、その驚きと感動を伝えたくて撮った、というわけでもあるまい。むしろタイミングそのものをゲーム的に楽しみながらシャッターを押したのかもしれないし、それすらも考えずに、ただたんに習慣だからシャッターを押してみたのかもしれない。
 

その習慣は、もともと誰かの習慣を真似したものだろうし、真似したいから真似たというよりは、真似てみたらやめる頃合いがわからなくなったというだけのものかもしれない。
 

そんなちょっとした習慣は、写真を撮る以外にもいろいろあるだろうし、生活になんの支障もなければ、とくに習慣の意味を考えたりもしないだろう。
 

ただただ習習慣から、富士山が見えそうな時間になるとソワソワして、ちらちら窓をチェックして、富士山が見えそうになってきたらウキウキしてカメラを構えて待つ。あるいは、雲がかかっていて、ちょっとがっかりしながら、いちおうシャッターを押す。あるいは、うっかり忘れて、ちょっとがっかりするけれど、すぐにそのことも忘れてしまう。
 

なにかが写ったり、なにかが起きたりすることを期待しているのかもしれないが、なにも起きなくても気にすることもないだろう。
 

今の時代なら、アップした写真に、いいね!はついたがコメントがつかなくてちょっとがっかりしたり、かつてなら、サービスサイズの写真を見せてもなんの反応もなかったりするかもしれない。それがなにかが起きたということなのかもしれないし、そうではないのかもしれない。
 

写真を見せたら、写っているもの以外に反応されることもあるだろう。のぞみなのか、ひかりなのかと聞かれることもあるだろうし、飛行機は苦手だといわれることもあるだろう。
 

そんなやりとりをしたときのカフェの匂いが写真に刻まれていくこともあるだろうし、カフェに流れていた音楽が写真に刻まれていくこともあるだろう。それらの新たな匂いと音が、弁当の匂いとジェットエンジンの音に混じることもあれば、弁当の匂いとジェットエンジンの音を消してしまうこともあるだろう。
 

これらは、ずいぶんと整合性のある例であって、じっさいにはまるで関係ないような匂いや音を吸い寄せ、運び、刻み、消し、生み出していくのが写真というものではないだろうか。
 

目の前の現実しか写らない絶対的な客観性というのは、願望にすぎないように思う。
 

そうした願望も刻むことができるという意味でいえば、写真はロマンティックな願望も吸い寄せる、とはいえるのかもしれない(絶対的な客観性にも匂いや音はあるだろう)。

 

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