(承前)
カーナビのルート案内で調べると、すぐに出発しなければならない時間になっていた。車の中で軽く着替え、ルート案内通りに車を走らせていくと、逆方向に向かっているようで、やや不安になったが、高速道路のインターチェンジがその方向にあるためだった。
使うことはないだろうと思いつつ、ETCカードを持ってきていてよかった。一般レーンはけっこう混雑していたが、ETCレーンはスムーズに通過できた。高速道路の帰り道はほぼ直線のルートだったので、余韻に浸る間もなく、どんどん出発した街へ戻っていく。
目的地のインターチェンジの手前で事故があったようで、カーナビに従ってそのひとつ前のインターチェンジで降りる。その結果、あまり余裕はないものの、予定にぎりぎり間に合う時間にはどうにか到着し、半日のドライブが終わった。
長い間、その場所へ行こうか行くまいか、行くのならいつ行くのか、ずっと迷っていたが、思い切って行ってみたら、あっけない短い旅になった。はじめに訪れた街をロケ地にした映画は、ドライブをテーマにしたものだったので、ドライブの街をドライブするという、同語反復のような、ダジャレのような時間になったのは気に入っていた。
* *
短い旅からしばらくして、写真を見返してみた。Googleマップなどのネットの地図で、訪れた場所を確認する。場所を細かく見ていくと、地図サービスによってかなり表示や情報が違っていることに気づいた。
以前、気まぐれに検索していたときは、Googleマップをメインに、たまにマピオンを使っていたのだが、時折届いた手紙の住所を直接ググってみたら、NAVITIMEやYahoo!マップがヒットした。Yahoo!マップには、細かい住所まで記載されていることがわかった。
かなり昔のことなので、住所表示が変更されていると思い込んでいたのだが、昔のままだったのだ。自治体によっては、新旧住所の対照表を公開している場合もあるので、そうした手がかりが見つかるかもしれないと思って検索したのだが、あっけなく具体的な場所までわかってしまった。
Googleマップにマークしてある訪れた場所と、Yahoo!マップを照らし合わせてみる。ひょっとしたら、が、もしやに変わる。拡大し、何度も位置を見比べてみる。もしや、が、まさかに変わっていく。
手紙の住所の集合住宅は、車を停めた公民館のようなところの裏手横にあったのである。そこで撮った写真にはぎりぎり写っているような写っていないような位置だった。かつて撮った夜の写真をよく見てみると、後ろにうっすらと住宅が写っている。位置関係を考えると、滑り台があった場所は、公民館のようなところの敷地だと思われる。
つまり私は、数十年前に酔い覚ましに歩いていた場所を、それと気づかず、気分転換に歩いていたことになる。私はまさにその場所にいたのだろうが、これはその場所に行ったことになるのだろうか。
もしその場所にいたということをはっきりと意識していたら、滑り台があったと思われる場所を何枚も撮り、そこから住宅周辺をゆっくり歩いたことだろう。記憶につながるような痕跡を探しながら、そうした痕跡があればあるなりに、なければないなりに感傷を味わいながら、そんな感傷など感じていないかのようにシャッターを押したことだろう。その手応えのなさを名残惜しく感じながら、その場所を去ったことだろう。
けっきょくのところ、私はなにを求めてその場所に向かったのだろうか。
そもそも、いったいどこをその場所と呼んでいたのだろうか。
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