インタビューや対談記事を作成したことがある人ならわかると思うが、録音を起こしたものを、そのまま記事にできることはほとんどない。
話し言葉の場合、重複や矛盾はめずらしくない。そうでなくとも、なんらかの口癖がある場合も多いだろう。
変な話でなくても「変な話」といい、それほど迷っていなくても「なんていうんですかね」といったりする。最近流行っているように感じるのは「おっしゃるとおり」だ。アスリートの返答の定番は「そうですね」だろう。
もしこれを忠実に文字に起こすと、口癖が延々と繰り返されることになる。話し言葉ではそれほど気にならなくても、文字になるといささかしつこく感じるに違いない。
語尾の場合も同様で、話し言葉のとおりに、すべて「じゃないかと思います」で終わっていたりすると、かなり単調な文章になってしまう。
記事を作成するときには、口癖を削り、語尾を変化させて、文章として違和感がないように整えていく。つまり、それは話し言葉のようにみえる書き言葉なのである。
多くの場合、インタビューでは、話し手のチェックを経てから活字になる。対談記事も同様で、大幅な加筆修正が施されていることもある。あまりに理路整然としていたり、長文の引用がすらすらと記述されていたりするのは、そのためだ。
このあたりのプロセスは、はっきりと記載されることはないが、ある程度活字文化になじんでいれば、それなりに推察できることでもあろう。
ところが最近、こういった慣習とは違ったネット記事を見かけるようになった。口癖が延々と繰り返されていたり、同じ語尾が続いたりしている記事、要するに、話し言葉がほとんどそのまま文字になっている記事である。
自動文字起こし機能を活用しているためかもしれないし、ネットでは文字制限がゆるいためかもしれない。あまりに整えていないので、何をいっているのかわからないような流れのときさえある。
しかし、慣れてくると、これはこれで自然に感じるようになるのが興味深い。
そうなると逆に、きちんと整えた話し言葉の方が、作り込みすぎた不自然なものに思えてくる。
録音や録画されたインタビューや対談は、公開されているものだけでも膨大にある。にもかかわらず、参照されることがあまりないのは、視聴するために時間がかかるからだ。60分の話を聞くには60分かかるわけではないとはいえ、倍速でも30分はかかる。しかも、特定の話を探すには、集中し続けなければいけない。
何もしなくても、録音や録画が自動で文字起こしされて検索可能になるならば、活用法は大きく変わっていくことだろう。それは遠い未来のことではなく、目の前に迫っていることでもなく、すでに到来しているようなことなのかもしれない。
というのも、写真に関しては、いつの間にか検索性が大幅に向上しているからである。思いついたキーワードで検索して、目当ての画像が見つかる確率がかなり高くなっている。デジタルカメラで撮影したデータにはExif情報が埋め込まれているし、アプリケーションをとおせば、さまざまな検索アプローチが可能だ。
文字が写っている画像に関しては、テキスト同様に検索できるようになっている。こうなると、テキストデータと画像データを区別する意味はないし、いずれは録音データや録画データを区別する意味もなくなっていくのかもしれない。それらはたんなる参照可能なデータになるのである。まさにマルチメディアだ。
さらに、検索という概念もなくなっていくなら、参照という構造も変わっていくことだろう。
では、その一方で、録られたもの、写されたもの、書かれたもの特有の性質はどうなっていくのだろうか。



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