top コラム考へるピント32 感傷と郷愁 その1

考へるピント

32 感傷と郷愁 その1

2024/01/22
上野修

昨年末、郊外のある街で開催されていた写真展の情報に、懐かしい既視感を覚えた。
 

その街で撮影された写真が、その街で展示される。数十年前にも、同じ作者による同じ形態の写真展が開催されており、私がはじめての連載の冒頭に書いたのがその写真展だったのである。
 

そのことに気づいたとたん、感傷的な気持ちが押し寄せてきた。
 

というより、この偶然の一致を必然として捉え、思い切り感傷的に受け止めたい気持ちになった、といった方がいいかもしれない。
 

掲載誌のファイルを確かめてみたところ、それは36年前のことだった。その展示を、私はこう描写している。

 

休日の閑散とした雰囲気の会場の中で、ハーフトーンを中心にした白っぽいプリントと何とも中途半端にみえるフレーミングは或る種の魅力を持っていて、その場所を去りがたく、ぐるぐると何度も会場をまわってしまうという楽しみをあたえてくれた。

 

「ぐるぐると何度も会場をまわってしまうという楽しみ」というのは、いかにも稚拙な紋切り型で、ほんとうに何度もまわったという体験をしたのかどうかも疑わしい。それを書くために何度もまわってみたのかもしれないし、あるいは、まわったことにして書いただけなのかもしれない。
 

「白っぽいプリント」や「中途半端にみえるフレーミング」という形容は、少々失礼な感じもするけれど、その分、背伸びしてがんばっているようにも感じられる。

 

彼ら(被写体)の視線は写真の中でこちらを向いてはいるのだが、そのまま背後へと抜けていってしまうような質のものであり、それは画面のどこかでまるで生活臭さを消してしまうように白くにじんでいる光とともに、私たちの時代の郷愁とでもいうべきものをかたちづくっているように見えた。

 

この展評の連載の前には、2度ほど短い原稿を書いただけだった。ほとんど経験がないまま連載がはじまったので、不安の方が大きかったような気がする。今とは違って、当時は表現としての写真による展覧会が少なかったので、どういった展覧会なら書けるのかも不安だった。郊外の街の駅を降り、寂しい道を歩きながら会場に向かい、この展覧会ならなんとか書くことができるように思い、少しほっとしたのだった。
 

郷愁というのは、そのころ私が気になっていたキーワードというか概念で、そこに結びつけて書いたのだろう。今の私なら、「視線」を「背後へと抜けていってしまうような質」と描写することはないだろう。それだけに、飛躍しつつも「白くにじんでいる光」や「私たちの時代の郷愁」へと結びつけているのは、なかなかうまいというか、そのうまくなさがうまいようにも感じる。少なくとも感傷的ではあると思う。
 

こんなふうに掲載誌を読み返して、当時を思い出しつつ、そこに描かれた感傷を味わい、そんな感傷をふたたびたっぷり吸い込みたいと思いながら、午後の電車で写真展が開催されている街へと向かった。
 

かつて駅前にあった大型百貨店のひとつは5年ほど前に閉店し、その跡地がJR駅のホームからも見えた。そこには超高層ビルが建つようで、基礎工事でぽっかりと空いた穴は、変わりつつある街の寂寥感そのものだった。感傷をなぞるにはうってつけの光景である。デッキをゆっくりと歩き、工事壁の隙間から空虚を眺める。
 

しかし、ここから会場へ行く道には、覚えているものがなにもなかった。私鉄駅の付近には踏切があったはずだったが、そこはとうの昔に高架になってしまったようだ。この踏切には思い出もあったのだが……。
 

拍子抜けしたような気持ちで歩いていると、すぐに会場があるビルに着いてしまった。1階にある案内も控えめだったので、ちょっと迷いつつエレベーターに乗り、会場がある3階のボタンを押す。公共施設の会場は、思ったよりも広く、照明も明るい。商業ギャラリーや美術館とも雰囲気が違っていて、これから見ようとしている写真にぴったりマッチしているように思えた。

 

関連記事

PCT Members

PCT Membersは、Photo & Culture, Tokyoのウェブ会員制度です。
ご登録いただくと、最新の記事更新情報・ニュースをメールマガジンでお届け、また会員限定の読者プレゼントなども実施します。
今後はさらにサービスの拡充をはかり、より魅力的でお得な内容をご提供していく予定です。

特典1「Photo & Culture, Tokyo」最新の更新情報や、ニュースなどをお届けメールマガジンのお届け
特典2書籍、写真グッズなど会員限定の読者プレゼントを実施会員限定プレゼント
今後もさらに充実したサービスを拡充予定! PCT Membersに登録する