考へるピント

38 マルハラ

2024/04/15
上野修

マルハラが問題になっているという。

 

マルハラのマルとは、いま文末につけた句点の「。」のことである。
 

文末のマルを威圧的に感じるということだが、本当だろうか……、などと考えはじめると、これといった結論がないだけに、無限にあれこれ語りたくなってしまう興味深い問題である。
 

と、もしマルハラが現実なら、ここまで相当威圧してしまっている。ネットでは「本当だろうか。。。」というふうに「……」のかわりに「。。。」を使うことがあるが、これなどは圧をかけまくりだろう。
 

それはそれとして、写真でマルハラのマルのようなものはあるだろうか。あるとしたら、プリントするさいの枠がそうかもしれない。

 

といっても、デジタル世代には、なんのことかわからないだろう。フィルム時代には、フィルムの余白部分を枠として焼くという表現があったのである。それにどういう意味があるかというと、トリミングしてませんよ、という意味である。撮ったままのフレームでプリントしていますよ、ということなので、表現というよりは証といった方がいいかもしれない。
 

じっさい、同じ作品で枠アリと枠ナシのバージョンがあるプリントを見比べてみると、印象がかなり違う。枠アリの方が、どこか深遠で、撮影者の身体性まで感じられる気がする(俗っぽくいえばカッコイイということだが、カッコイイからなんとなく枠をつけましたという作者はほとんどいないだろう)。
 

その意味をどう解釈するかは別にしても、プリントの枠にある種の圧があることは明らかだと思う。この圧が威圧であるなら、マルハラならぬワクハラである。
 

と、書いてみて、どこかで聞いたことがある気がして検索してみたら、ワクハラはワクチンハラスメントの略で、すでに使われていたのであった。ではフレームハラスメント、略してフレハラならどうだろう。検索してみたら、こちらもフレンドハラスメントで使用済みである。空いているハラはないのだろうか。
 

仕方ないので、ここではワクハラ(ワクチンではなく枠のハラスメントの略)と呼ぶとして、話を戻すと、フィルム時代、枠ナシに意味がなかったかというと、そういうわけでもないのである。
 

枠アリに意味があるのならば、枠ナシには枠アリではないという意味が生まれる。それをどう表現するかというと、35mm判ならば印画紙のなかに正確に3:2の比率でプリントするのである。印画紙の余白が、枠なき枠となって枠ナシを表現することになる(これに対して、サービスサイズプリントの余白などは、印画紙サイズに沿った余白なので、無造作な枠なき枠である)。
 

ここまでで充分ややこしいが、そうしたプリントを展示する場合には、さらにオーバーマットの枠、フレームの枠が加わったりする。ワクハラにとどまらず、ワクワクハラ、ワクワクハラになるのである。フレームを使わず、あえて軽くピン留めすることもあるが、軽いですよというのは圧なき圧になるので、これはピンハラだろう。一時期、写真をアクリル加工するのが流行ったが、これは非ワクハラとしての、アクハラだったのかもしれない。
 

もちろんこのようなあれこれは、言葉遊びにすぎない。しかし、こんな言葉遊びが成立するのも、そこにフィジカルな感覚が漂っているからだろう。マルハラのマルが問題になる(ように思える)のも、「。」に潜む身体性がなんとも重たいからなのかもしれない。マルもワクも、いわばアナログの尻尾のようなものなのだろうか。

 

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