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考へるピント

53 フレーミング

2024/11/11
上野修

MLB(メジャーリーグベースボール)にまつわる解説を見たり読んだりしていると、フレーミングという用語がよく出てくる。
 

フレーミングとは、ストライクと判定される確率が上がるようにするキャッチング技術のことだという。簡単にいうと、捕球のときにうまくミットを動かすということだ。ちょっとズルいような感じもするのだが、これがズルなのかどうかは、議論が分かれるところらしい。MLBでも昔は、審判を欺こうとする侮辱行為と判断されていたようだ。
 

このフレーミングという言葉は、写真愛好家にとってもなじみがあるものだろう。
 

写真の場合のフレーミングはどんなニュアンスで使われているだろうか。うまいフレーミング、というのはよく聞くように思う。巧みなフレーミング、あざといフレーミング、くらいもあるだろうが、ズルいフレーミング、という判断はあまりないような気がする。
 

撮った写真を切り取ることをトリミングと呼ぶが、こちらはズルいというニュアンスが含まれる場合があるだろう。ノートリミング主義(という主義があるかどうかは知らないが)から考えると、トリミングはズルいし、タブーである。フレーミングをトリミングでごまかすことになるからだ。
 

つまり、ノートリミング主義におけるトリミングの方が、MLBにおけるフレーミングの意味合いに近いのかもしれない。まったくミットを動かさずに捕球することをビタ止めと呼ぶことがあるが、逆にこれは写真でいう完璧なフレーミングといったところか。
 

写真における、ノートリミング神話やフレーミング伝説はいろいろあるように思う。たとえば、ある巨匠の写真のフレーミングは完璧すぎて、1ミリたりとも切ることができなかったという逸話を聞いたことがある。
 

1ミリというのは、ネガ段階の1ミリなのか、プリント時の1ミリなのか、掲載時の1ミリなのか。という屁理屈はおいておくとしても、その巨匠が活躍したのは雑誌の時代だったので、本当にそういう写真ばかりだったら使いにくくてしょうがないと思うのだが、そのあたりはどうだったのだろうか。
 

カメラマンがトリミングするのはズルでも、デザイナーがトリミングするのは当然の仕事なので、1ミリたりとも切ることができない写真を、手練れのデザイナーが斬新なトリミングをする。手練れのカメラマンと手練れのデザイナーによる、斬り合いのような緊張感から生まれる新たな魅力……
 

と、書いていたら、これ全体がどこかで読んだ逸話のような気がしてきたので、このあたりにしておこう。
 

さて、MLBでも昔と今ではフレーミングの是非が変わったように、写真においてもフレーミングに対する感覚は変わってきているように感じる。
 

スマートフォンにおいては、撮影時にピンチ操作でズームインしてフレーミングすることと、撮影後にピンチ操作でトリミングすることに、さしたる違いはない。もちろん撮影時にできることと撮影後にできることに違いはあるけれど、感覚的には連続しているだろう。おそらく、フレーミングとトリミングの違いは曖昧になっていく、というか、すでに曖昧になっているかもしれない。
 

フレーミングとトリミングの違いがなくなり、恣意的かつ無段階に行われるようになるとどうなるのだろうか。
 

枠というフィジカルな制限がなくなることの行く末がAppleの空間写真(Spatial photo)的なものなのか、と一瞬思ったが、映像で人間を包み込むという発想は昔からあるものだし、これもまたフィジカルな装置の一種にすぎないのだろう。
 

おそらくは、フレーミングやトリミングといった言葉の意味も用法もどんどん曖昧になり、やがては死語になり、気づいたらフワっと消えている、そんなところなのかもしれない。

 

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