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考へるピント

75 その場所が その3

2025/09/15
上野修

(承前)
 

その坂道には、工事現場によくあるような折りたたみ式のバリケードがあったが、すでによけられていて、通行できるようになっていた。ひょっとしたら、バイクか車がそこを通っていくのを見たのかもしれない。
 

おそるおそる、その坂道をスクーターで上っていくと、起伏のある空き地が広がっていて、奥の方に少し向かうと、見晴らしのいい丘に出た。
 

はじめからこの場所を中判で撮ってみようと思っていたのか、あるいは、中判で撮るものを探していてこの場所に来てみたのか。そのころ持っていたのは、ウエストレベルファインダーのカメラだったので、当然三脚も必要だった。
 

アルミケースに入れた中判のカメラと三脚を、スクーターの荷台になんとかうまく括り付けて持って来たのだろう。一度撮影の準備をすると、移動するためにはまた片付けなければならないし、かといって、歩いて動き回るには広すぎたので、楽しい撮影とはいえなかった。
 

さらに、どうせ三脚を立てるならと、使い慣れたトライ-Xといったフィルムではなく、低感度のフィルムを使ってみたので、ここで撮った写真をプリントしてみても、いまひとつしっくりこなかった。残っている数枚のプリントをいま見てみると、さほど違和感はないのだが、当時は、撮影と現像とプリントが噛み合っていないという感触が大きかった。
 

左右逆像になるウエストレベルのファインダーにも慣れていなかったので、操作しているうちにうっかり三脚ごと倒してしまい、ぽっきりと根本からレリーズが折れてしまったこともある。もちろん、レリーズがなくても撮影できるのだが、さすがにその時はやる気もなくなり、さっさと撤収した。
 

——誰もいない丘の上から遠景を眺め、かすかな郷愁を感じながら、わずかな痕跡を探し、そっとシャッターを押す。見えないものは、はたして乳剤に何かを残しただろうか。遠景を眺めたまま、時は流れていく。
 

こんなふうに描写できる撮影だったらいいのだが、ほとんど誰もいないような空き地のなかで、そわそわ落ち着きなく操作しては失敗しているのが、じっさいのところだった。それでも、砂煙が舞い上がる強い風を待っているときだけは、のんびりしていたかもしれない。
 

そんな撮影を何回繰り返したのだろう。最後のころに撮影したフィルムは現像もせずに捨ててしまったし、それ以外のネガもすべて捨ててしまったので、わからない。
 

いや、数枚だけ残っているカラーポジフィルムがある。新しく入手した手持ちで撮影できる中判カメラによるもので、残っていたフィルムを消化するために撮ったカットだったのだろう。たぶんその時が、撮影を目的に訪れた最後だったのではないだろうか。皮肉なことに、それらのカットは私の写真のなかで一番多く(といっても数回だが)印刷物になった写真になった。
 

バブルの波に乗ってこの場所が再開発されたのは、それから1、2年後のことだった。新たに生まれた巨大ショッピングモールを訪れたり、食事をしたりもしたが、なぜか丘の上の空き地のことは思い出しもしなかった。
 

今回の再訪は、それから数十年ぶりのことであり、はじめて訪れてからは、もっと経っていることになる。遅めの午後だったこともあり、またいつか来た時にしっかり撮ろうと思いつつ、気になるポイントでシャッターを押した。この場所に来た時は、いつもそんなふうに、いつかまたと思っている気がする。
 

その場所がつかのまこの場所になり、いつかまたという余白のなかで、この場所がまたその場所になる。そのような場所にはじめて出会ったのは、まぎれもなく、この場所であった。
 

この気持ちを、郷愁と呼びたくなる。しかし、その場所もこの場所も、そもそも私とはなんの関係もない。

 

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