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書棚の片隅から

42 WAVE25『151年目の写真』

2025/06/02
上野修

今回紹介するのは、WAVEシリーズの25号として1990年に刊行された『151年目の写真』です。まず目次から見てみましょう。
 

 

目次の前半が作品、後半がテキストで、誌面はそれらを織り交ぜた構成になっています。

 

NEW WORKS 大竹伸朗
オブセッション ボブ・カルロス・クラーク
ライム・ヒルズ 畠山直哉
作品 今道子
窓 森村泰昌
Breath Graph 佐藤時啓
終末の浜辺 アナ・バラッド
トポグラフィー 小林のりお
Dead Animals リチャード・ミズラック
鉄錆の葉の精霊 宮本隆司
臨界質量 長尾猛
Alignment ガリー・ウッド
狂った血の衝撃 大竹伸朗
アイルランドの女神たち ボブ・カルロス・クラーク×飯沢耕太郎
世界を見る装置 畠山直哉
モ・ダ・ン——アーネストから「窓」へ 森村泰昌
写真に対する問いかけ 佐藤時啓×今野裕一
西半球感覚 アナ・バラッド
自分のいない造成地 小林のりお
「151年目の写真」展 浅田彰×飯沢耕太郎×小林のりお×佐藤時啓×今道子×北條ユミ
写真展の行方 高橋周平×今野裕一
写真の変容、写真展の変容 金子隆一

 

巻末に掲載された金子隆一のテキストからは、本書が出版された当時の状況がうかがわれます。

 

 一九八九年は、写真が誕生して一五〇年という記念すべき年にあたり、世界各国でさまざまなイベントや写真展、出版が行なわれた。それは、ダゲレオタイプやカロタイプに始まる写真の歴史を展望しようとするものはもとより、多様に展開する現代写真の最前線にスポットをあて、その未来を見通そうとするもの、歴史のひだの中に埋れてしまった写真家の再発掘、これまでの写真史や写真論のパラダイムを読み換えようとする試み、あるディケードや表現傾向を高度に専門的立場から構成したもの、など文字通りに「多様」な「写真」へのアプローチがなされていったのであった。

 

このように、1989年は世界的に写真誕生150年という祝祭ムードに包まれていました。では、日本はどうだったのでしょう。
 

本書に関連して開催された「151年目の写真展」(ハイネケンビレッジ・東京)に触れたテキストには、こう記されています。

 

 

北條 まずこの「151年目の写真」という展覧会が何故開かれたかというと、本来まちまちの大きさの作品が一つの大きさにまとまってしまうメディアにのっている写真というのも一つの姿であるけれども、実際に写真を観てみる機会をもっと増やしたい。
 写真の作家たちにとっても、写真を観せる機会、それもすごく写真に慣れた人たちだけが来るコダックとかコニカがやっているようなギャラリーとは違ったところで観せる機会を作りたい。それともっと大きなところでやってみたらどんなことができるだろうかということで雑誌WAVEの特集の発展形として考えられたものです。そこに私たちキュレーターが、キュレーションというか写真を選ぶ側の色をあまり出さずに、アーティストの人にチャンスを与えて自由にやってもらったというのが今までの経緯です。

 

1990年頃の日本の写真は、雑誌や本といった出版メディアで発表されることがメインで、展示するにしてもサロン的なメーカーギャラリーが多かったことがわかります。たとえば、東京都写真美術館の一次施設開館が1990年、総合開館が1995年ですから、大きなスペースで展示する機会はほとんどなかったのです。
 

このことを踏まえつつ、先ほどの金子のテキストの続きを読んでみましょう。

 

 

 それらのすべてを見ることは到底不可能であるわけだが——とくに写真展やイベントはその現場に立たなくてはならないからだ——印刷物や人からの情報などを総合すると、これまでとは少し異なる「写真」へのアプローチが形成されつつあるような感があった。
 さまざまな角度から、そんな違いというものを漠然と感じさせられたのであるが、とくに興味をひかれたのが「写真展」の構成のされ方であった。そのきっかけを与えてくれたのが、パリのポンピドー・センターで開催された写真展「L'invention D'un Art (直訳すれば“芸術の発明”となろうか)」であった。

 

同展が実際に見なければわからないような展示であり、そのカタログが展示を理解するための資料のようなものであったことに注目する金子は、考察をすすめ、次のような結論を導き出していきます。

 

 

 ここでもう一度、ポンピドー・センターでの写真展「L'invention D'un Art」のカタログを見てみよう。このカタログは、かつてどのような写真が創造され、そして今どのような作品が生み出されているのか、ということのアンソロジーではない。かつて、そしていま、どのように「写真」が立ち現われてきたかを今もう一度見通そうとする試みであったことがよくわかる。写真一五〇年の歴史は、アトランダムな写真のイメージの連続ではなく、それぞれの写真のイメージがどのような空間(現実)の中に立ち現われてきたかの年代記であることを雄弁に語ってくるように思える。
 このとき、写真展というのは、これまでのように写真のイメージを心地よく効果的に演出する空間ではなく、誤解を恐れずに言ってしまえば、写真に社会化(原文傍点)する“場”なのではないだろうか。そして写真展のカタログという「本」は、写真展を封じ込めたものではなく、写真を理解するためのものでもなく、写真展を理解するテキストとして役割を与えられているというべきなのだ。

 

ここに書かれていることは、ちょっとわかりにくいかもしれません。とりわけ、「写真に社会化する“場”」という言い回しは、奇妙にねじれていて、わかりにくいですが、このねじれこそが、1990年という写真誕生151年目の写真表現を浮かび上がらせているように思えます。
 

このほかにも、本書からは多くの論点を見出すことができるでしょう。写真誕生150年が写真表現にとってどのような曲がり角だったのか、写真誕生151年目から約35年を隔てた今日、本書をとおして考察してみるのも興味深いのではないでしょうか。

 

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