top コラム書棚の片隅から36 『ふたりのまなざしを通して』

書棚の片隅から

36 『ふたりのまなざしを通して』

2024/12/16
上野修

引き続き、なぜだかわからないけれど、手放すことなく、ずっと持っている写真集を紹介したいと思います。
 

今回は、『ふたりのまなざしを通して ウェストン、アダムス自選ポートフォリオ』。奥付けを見ると、原美術館の編集で、1992年の発行とあります。

 


 

原美術館の独特の空間で、エドワード・ウェストンとアンセル・アダムスのプリントを見るというのは、とても贅沢な体験であるように思えます。しかし、残念ながらまったく記憶にありません。この展覧会を見たのか、別の展覧会を見たときに図録を購入したのか、定かではありません。
 

ページを捲ってみると、テキストがかなり多くて驚きます。お土産として買う、図版多めな図録とは趣が違いますね。私は日本語で読める資料として入手したのかもしれません。目次を見てみましょう。

 

  • ごあいさつ
    原 俊夫
  •  
  • 序文
    リチャード アンドリュー
  •  
  • 心が見る目は従う
    エステル ジュシーム
  •  
  • 継続性と革命:アンセル アダムスとエドワードウェストンによる作品
    ダイアナ エムリー ハリック
  •  
  • 作家年譜
  •  
  • 文献
  •  
  • 出品作品リスト

 

テクストの内容も、興味深いものが多く読み応えがあります。たとえば「継続性と革命」における、次のような機材の違いについての考察を読むと、ウェストンとアダムスの作品の見え方がちょっと変わってくるのではないでしょうか。

 

 

 アダムスが所持していた機材と比較するとやや精巧さや信頼性を欠く機材を使わざるを得ないという逼迫した状況にあったため、ウェストンは計画性に勝るものとして直感力を強調し、実際、写真に対する彼の取り組み方をみると、技術上の制御を事前に計るよりも瞬時の必要性に対処し決定することを重視していたことがわかる。アダムスとウェストンは両者ともに、撮影現場でのカメラのガラスレンズを覗いた時点で既に完成したプリントを事前に視覚化しようと試みたが、ウェストンの場合は度重なる技巧上の失敗を克服しながら視覚化作業を行わなければならなかった。そこで、失敗に対する解決策が、写真家とは何なのかという彼の見解の一部を成すこととなった。彼は「繰り返し行われる技術上の試みから生まれるもの」について著し、その試みや困難に関する記録は、意のままになる数多くの物理的資材を持つアダムスよりも内省的なものであった。

 

目次にはありませんが、ウェストンとアダムスの言葉の抜粋も掲載されています。こちらも性格の違いがあらわれているようで面白いです。

 

 

アンセルは私の野菜の写真が気に入らなかった——とりわけ二つ割にした分が。これは少しも珍しいことではない! 私はたえずそれらを弁護しているように見えるだろう! 野菜のなかには、現代彫刻——あるいは黒人の彫り物——に似たものがある。しばしば中傷されるピーマンなどその良い例だ。しかし私はそのためにそれらの作品を撮ったのではなかった。
ウェストン、『日記』2巻(1932年2月1日)

 

 

ウェストンの作品の、ほとんど質素ともいえる簡潔な素材づかいのなかに、気取りのなさを見るのは楽しいものだ。
アダムス、『The Fortnightly』no.1(1931年12月18日)

 

本書をあらためてよく見ていたら、「これは、ヘンリーアートギャラリーが発行した展覧会オリジナルカタログを邦訳したサプリメントである」と記載されていました。検索したところ、原書も同じ造本のようです。
 

小さな文字で3段組というレイアウトも原書を踏襲したものなのかもしれませんが、それにしても歳をとると辛い文字サイズです。当然ながら、昔はみんな若かったということでしょうか。

 

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