前回に引き続き、今回は、富士フイルムのPR誌『写楽祭』に登場する、8mm映画の記事をメインに追ってみましょう。
1962年発行の6号では「ホームライフを写真に賭ける」と題した特集が組まれています。
GHQとは、ゴー、ホーム、クィックだそうです。封建亭主の天国だった日本にも、とうとう家庭サービスの時代がやって来ました。
さてこそと、日曜大工で張切っても、出来たのは、ガタピシのホーム・バー。やっぱりカメラの方がいい。ママと坊やを写したら、これが意外の傑作で、会社のコンテストに入選という……もう後へは引けません。
そんなあなたのために、ホームライフを写真に賭けた先輩達をご紹介いたしましょう。
GHQをもじったフレーズは、吉田茂外相の「GHQはGo Home Quicklyの略だ」という言葉が転じて、キヤノンが1959年に「GHQ(Go Home Quickly)運動」というスローガンに使うなど、一種の流行語でもあったようです。
特集「ホームライフを写真に賭ける」は、そのような、家庭に注目していく時代を反映したものだといえるでしょう。写真という趣味は、ともすれば家庭を顧みないものになりがちですが、家族をモチーフにしつつ家族と楽しめば、問題解決、一石二鳥なわけです。
さて、はじめに紹介されているのは、「コンテストを楽しむ」黒木夫妻。「典型的な働き者夫婦」だけれども、「どんな人でも、家族をモデルに、写真をとる位の時間は作れる」ということで、家族撮影がレジャーになっています。
ご主人の黒木堅さんは、写真歴四年。昨年もらった主な賞は、宮崎県美術展推薦、宮崎日日新聞社年間最優秀作家賞、写真サロン年度賞第四位など。奥さんのリエ子さんは写歴二年ながら、カメラ毎日年度賞第一部一席、フジフォトコンテスト、ファミリーの部銅賞など。夫唱婦随か門前の小僧か、見よう見まねで始めた奥さんが、この所すごい成績です。
(中略)
入選通知を首を長くして待つ、わくわくした気持、そして入選の飛び上るような喜びで、写真は二重、三重に楽しくなります。
その上、コンテストには、賞品という実益まであります。黒木家の電気掃除機はご主人がとって来た賞品です。これで掃除の時間を節約した奥さんは、カメラ雑誌からもらった賞品のフジカ35EEで、ますます写真に精を出すという次第。めでたくも模範的な写真夫婦です。
その次に登場するのが、「8ミリに賭ける柏木夫妻」。「ご主人が始めてカメラなるものを手にしたのは、結婚前の和子さんを縦横に写しまくりたいためであった」ということで、「当然8ミリも、ホーム・ドラマで始まりました」と紹介されています。
ご主人が8ミリを始めたのは、昭和32年のこと。それ以来15作が、ことごとくどこかのコンテストに入選というんですから、名女優を得た名監督の鬼才ぶりにはおどろくばかりです。主演女優として、和子夫人の会心の作は、「結婚記念日」なる作品だというのも、なんともおアツいこと。他に二人のお嬢さんと犬と三毛猫が演技陣としてひかえています。おしどりコンビとは、全くこの夫婦のために作られた言葉じゃないかと思います。
(中略)
しかし、やがてこのプロダクションにも転換期がやってきました。ご主人の喬さんは、ホーム・ドラマを卒業して、より意慾的な作品に踏み出したのです。それは、近作「主治医」や「鵜匠」を生むまでになりました。8ミリ映画を作る誰もが通る必然的な道すじかも知れません。
結果として和子さんはホサれました。そこで自らも監督の椅子にすわり、ちょっとウラミがましい題名の映画「パパは子供ばっかり」を作ったのです。そしてこれがたちまちコンテストに入選してしまいました。和子さんはかずかずのホーム・ドラマに主演している間に映画のとり方をすっかりのみ込んでいたのです。今度の富士8ミリシネコンテストまで4本の入選記録をもっています。
これからの2大監督の競作ぶりは、大いに楽しみなところ、協力し合い批評し合って、ますます円満ぶりを発揮するでしょう。
写真という趣味が、やがて映画に発展していくのは自然といえば自然でしょうが、当時、8mm映画を撮ることはもちろん、編集して作品として完成させるのは大変な労力を要したことでしょう。にもかかわらず8mm映画が広がっていったのは、大変ならば大変なほど熱中していくのが趣味というものだからかもしれません。特集タイトルの「賭ける」という言葉どおりの情熱を感じます。
文中に出てくる「富士8ミリシネコンテスト」ですが、富士フイルム公式サイト*には次のような記述があります。
1950年(昭和25年)1月、当社は賞金総額100万円にのぼる懸賞写真を募集した「富士フォトコンテスト」の開催である。戦後5年目を迎え、人びとは困難な生活の中にも明るいものを求めてやまなかったので、募集にも“あかるく楽しい写真”というキャッチフレーズを用いた。カラー写真・アマチュア写真・プロフェッショナル写真・学生写真の4部門構成としたが、応募者数4,215名・応募点数8,118点と、わが国写真コンテスト史上、空前の応募者数を記録した。
「富士フォトコンテスト」は、その後、内容を充実しながら、毎年継続して実施し、年々盛んになっていった。1960年(昭和35年)からは、営業写真家を対象とした「富士営業写真コンテスト」を新たに設け、同時に、「富士8ミリシネコンテスト」もスタートした。”
「ホームライフを写真に賭ける」の特集は、さらに、「珍品カメラに賭ける野間俊夫氏」、「白さぎに賭ける田中徳太郎氏」という興味深い記事が続きますが、今回はこのへんで。「野間さんが自分で改造した迅速レンズ交換式のライカ・スライダー」のページをお見せして、終わりにしたいと思います。
*富士フイルムのあゆみ - “ネオパンSS”の誕生とアマチュア写真需要の拡大
https://www.fujifilm.co.jp/corporate/aboutus/history/ayumi/dai2-02.html
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