top コラム書棚の片隅から32 奈良原一高・松岡正剛『写真の時間』 その2

書棚の片隅から

32 奈良原一高・松岡正剛『写真の時間』 その2

2024/08/26
上野修

奈良原一高と松岡正剛の対談による『写真の時間』の読みどころのひとつは、具体的なカメラ談義が展開されているところでしょう。今回は、そうした部分をピックアップしてみたいと思います。
 

まず、「一眼レフには眼球とレンズがいっしょになるデカルト的快感がある」という節の、カメラの種類による物理的な操作性、抵抗感についてのやり取りをみてみましょう。

 

 

  • 奈良原——そうなんですね。たしかに一眼レフのミラーがアップするタイプと、ライカM型みたいな素通しのレンジ・ファインダータイプでは、ぜんぜん素通しのほうが反応が速くて心理的にも軽快なんです。これは視界の抵抗感のちがいからくるんですね。同じ一眼レフでも、こんどニコンF3が出ましたけど、あれは巻き上げが今までのやつよりずっと軽いんです。そうすると、今までのニコンの調子でシャッターを切っているとおもわずたくさん撮っちゃうのね。(笑)

  • 松岡——奈良原さんでもそうですか、やっぱり。

  • 奈良原——やはりあるみたいです。抵抗感っていいますか、そういうのが少ない。モーター・ドライヴもそうだけど。だから、もしかするとある傾向の写真は人によってそれに見合うカメラの操作性の質量と肉体の一定のバランスがあるようですね。肉体化されたカメラの個性的質量といったものがある。
     ダイアン・アーバスは新しいカメラを買ってから半年でも一年でも、そのカメラが自分のカメラになったという感覚で手になじむまでは、カメラ屋に金は払わないと言っていた。だから自殺した彼女が最後に手にしたカメラは未払いのままでしたね。

 

驚きのエピソードが語られていますが、これは本当なのでしょうか。奈良原一高はアーバスのワークショップに参加していたことで知られているので、もちろん本当なのでしょうが、こういう話がサラッと出てくるのが昔の対談の面白さですね。

 


 

次の「カメラのあるかたまった刺激が写真を撮る時には必要」という節では、カメラの大きさについての談義が繰り広げられていきます。

 

 

  • 奈良原——そうですね。だから、ひと頃小型軽量、小型軽量といって各メーカーが軽くて小さいのを大量に作ったでしょう。そもそもはぼくたち写真家が以前から唱えていてやっとメーカーが実現したんだけれど、運ぶ時に大きくて重たいのは困る、だからという事情で小型軽量化した。まあそれは論理的に見て非常にいい方向だと作られた当時はおもっていた。オリンパスが最初に作ってすごく売れたので、各メーカーがこぞって作ったんですね。ところがしばらく使ってみると、小さすぎるのは、どうもダメなんだ。今ではプロの写真家のだいたい一致した結論がそう出た感じなんですよ。サブ・カメラとしてとか、アマチュアが気楽に撮るには向いてますけど。

  • 松岡——オリンパスOMとかああいうやつですか?

  • 奈良原——ええ、ニコンでもFMとかFEとか、ペンタックスならMEだとかMXとかね。まずどうしても人間の手ががっちり使う道具としては小さすぎる。ぼくは日本人としても手が小さいわけだが、そのぼくでもやはり小さくて、いわゆる操作性の手ごたえの問題で、どうしてもある大きさをもっていないと頼りない。持ちにくい。それからもうひとつは、画像のブレみたいなのが出てきますね。軽いというのは持ち運びはいいけれど撮影する時に軽すぎると、シャッターを瞬間的に押した時にブレやすい。小型でホールディングが悪いと一層ブレる。だからカメラ・ボディというのは一定の質量がどうしても必要であるという結論に達した。理想をいえば孫悟空の如意棒みたいに撮る時パッと大きく重くなるのがあるといい。(笑)

 

カメラが大型化すると小型化を求め、いざ小型化するとある程度の大きさを求めるという、使う側の矛盾がよく表れているトークが興味深いです。
 

そしてこのあとに、前回触れた「ブリキ細工的アサペンには奈良原一高的彫刻がされている」という節が続きます。

 

 

奈良原——カメラにも使い方のレベルによっていろいろなカテゴリーがあるとおもうんですよ。たとえば、昔のニコンFなんかに、そういう意味で「仕事をする」という刺激的な匂いがあったとしても、人間というのぜいたくなもので時どきは日常の中で気楽に撮りたいような気持とか、ちょっととぼけた部分とか、気ままなところがあるでしょう。そういう時には、なんとなく仕事っぽいカメラには手がのびなくなる。

 

必ずしもプロフェッショナル向けのカメラが万能というわけではなく、時には、もっと気軽に使えるカメラがいいというわけで、ニコンFとペンタックスSVが対比されていきます。

 

  • 奈良原——たとえば昔、二〇年近く前ですかヨーロッパ滞在中にぼくが使っていたニコンFとペンタックスSVを比べてみると、このペンタックスSVは昔のタイプのやつで、もうとっくに製造を中止しているんだけど、ぼくもボロボロになったまま、未だに記念に持っているんですが、これなんか見たところブリキ細工みたいで親しみがありましてね、「グラフィティカメラ」とでも言うんでしょうか。なんとなくシャッターボタンとかが使いやすくて、当時としては最も小型軽量で見るからに気楽なんですね。気がねがなくて気にいってました。日常的にはなんとなくそっちのほうへ手がスッとのびる率が次第に多くなる。だから仕事とか、撮る写真の性質によってもいろいろ気分的な段階があるんですね。

  • 松岡——ぼくはあんまりカメラを持たないので、人の持っているカメラを観察しているわけですが、使われているカメラは同じ機種でも写真家やその人によって摩滅しているところがちがいますね。はげているところとか。

  • 奈良原——持ち方とか癖がちがうからでしょうね。

  • 松岡——でもそのブリキ細工的アサペンなんていうのは奈良原一高的彫刻がされているんじゃないでしょうかね、ボディの痕跡にね。

 

金属製の使い込んだカメラは独特の味わいがありますし、確かに使い手の癖ともいうべき痕跡が刻まれています。「奈良原一高的彫刻」というのは、じつに言い得て妙で、使い込むことによって名機になっていった一台という感じがします。
 

カメラ談義はさらに続いていきますので、もう少し追ってみましょう。

 

 

奈良原——それにがっちりできたものにはがっちりした魅力があるし、軽くできたものには軽い気楽さとか良さとかがあるわけでしょう。やっぱり油絵なんかと比べて写真には軽快さがあるとすれば、カメラのその部分も捨てがたいんじゃないですかね......。
 五〇年代のカメラにはどこか人間的な魅力があった。考えてみればニコンFにしてもシャッターボタンの位置とか裏ブタの着脱構造とかさまざまな欠点はあったんですが、欠点のある人間みたいにカメラとしての魅力があった。個性的というか。ニコンSPやFのモーター・ドライヴもアメリカのプロ写真家が必要に迫られて自作したのがその最初の原型とか......。

 

これもまた魅力的なエピソードですが、まだ約190ページ中の約30ページのところで、第5談中の第1談も終わっていません。注目したい箇所はまだまだありますが、きりがないので今回はこのへんで。
 

それにしても、こんなに面白い本なのに、1980年代のわたしは、なぜピンと来なかったのでしょう。謎すぎます。

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