大倉舜二『EMMA 杉本エマ』(1971年)は、『カメラ毎日』別冊として出版された「PRIVATE」シリーズの第二弾です。第一弾は立木義浩の『私生活/加賀まりこ』(1971年)、第三弾は沢渡朔の『ナディア NADIA 森の人形館』(1973年)で、いずれも名作として知られています。
表紙・扉:池田満寿夫
1 双子座のエマ
2 裸のエマ
3 エマが大好きなエマ
4 エマはもう大人よ
5 さようなら
企画・構成:山岸章二
レイアウト:堀内誠一
文:西井一夫
目次に、こう記されているように、「PRIVATE」シリーズというのは、もちろんプライベートそのものではなく、企画・構成されたものだということですね。
とはいえ、すべてフィクションかというと、そういうわけでもないでしょう。たとえば、「3 エマが大好きなエマ」では、見開きページに、次のような独白が載っています。
ウソの時間がはじまるわ 仕事という時間 わたしはモデル マヌカン どれも これも わたしのハズなのに わたしじゃない それなのに ウソの時間が わたしを時には慰める わたしじゃなないわたしになりたいと思う時には……
「わたしのハズなのに わたしじゃない」と書いているのは誰なのか、「ウソの時間」とはこの写真集の写真を撮影している時間を含むのか、などと考えていると、虚構と現実が織り成す迷宮に入り込みそうになります。
仮にすべてがフィクションだとしても、写っていることそれ自体は現実であるわけで、これは、写真ならではの迷宮だといえるでしょう。
こういったことを踏まえつつページを捲っていると、「4 エマはもう大人よ」に載っている次のよう長めのテキストがとても興味深いものに思えてきます。
エマのブライベート
ある晴れた朝 突然に 何とも学校がつまらなくなっちゃって それで学校へ行くのをやめちゃった それからずーっと 一人で暮らすようになった その朝はいつだったか そんなこともう ハッキリとは覚えてないよ 中学2年の終わりころだったっけな どうしてって そんなことわからない でもね それまでは優等生だったのよ それにバスケットの選手だった からだが大きくって それだけで他の人みたいに練習しなくても やっていけたっけな そんなだったからかナ 自分の思ってることをしゃべれる仲間がほしかったのかナ とにかく人のいっぱいいるところへいって そんな中で一人になりたかった……ほんとに一人になりたかったのかな? でも強制されたくなかった 人にはいえないことや いったってわかってくれないことってあるじゃない そんなことを昔から何か書いて整理するみたいなことがあるのね そんなことをしゃべれる仲間をほしかったのかもしれない そんなんで横浜や神戸にいたリしたんだけど 結局 東京にきちゃったの それでまあいまのマネージャーと出会って写真のモデルをはじめたってとこかな
エマの父親は 朝鮮戦争のとき日本を通過していった米国の兵隊さんです エマは混血——ハーフです 日米体制の申し子なのです だからフィーリング時代とやらの前衛的な分野みたいなファッションの中で ハーフたちは息づいているのかもしれません そして あのエマの〈突然の朝〉が ひょっとしたら米国がベトナム戦争で〈北爆〉を開始した日(65年2月7日)かもしれないな なんて考えてみたら 何だか楽しくなってきました
ポエムっぽいテキストは、いかにも昭和なテイストな感じがしますが、その一方で、句読点を嫌う昨今の若者の感覚を先取りしているような、いないような感じもします。時代はめぐるということでしょうか。
ところで、今回あらためてこの写真集を見返していたところ、同じ写真が出てくるパートがあることに気づきました。はじめはそういうコンセプトなのかなと思いましたが、8ページ分もあるので、どうやら製本ミスのようです。この製本ミスは、レアなのかどうかも気になるところです。
PCT Membersは、Photo & Culture, Tokyoのウェブ会員制度です。
ご登録いただくと、最新の記事更新情報・ニュースをメールマガジンでお届け、また会員限定の読者プレゼントなども実施します。
今後はさらにサービスの拡充をはかり、より魅力的でお得な内容をご提供していく予定です。