今回紹介するのは、1968年に開催された『写真100年 日本人による写真表現の歴史展』の冊子です。
表紙を開くと、当時の日本写真家協会会長である渡辺義雄による「日本写真家協会の目的と事業」に続き、同展実行委員長である濱谷浩による「この写真展の意味するもの」が掲載されています。
今回、私たち日本写真家協会が企画編集主催いたします「写真100年・日本人による写真表現の歴史展」という写真展は、その長い題が示しますように、日本人による写真表現ということに重点をおきました。そこに私たち写真家自身が主催する意義があります。
ここに集められた写真は、写真術が日本に渡来してから1945年、すなわち第二次世界大戦が終った年までのものであります。近代日本の激動期にめぐりあった写真術がいかに、その機能を発揮し得たか、得なかったか、ここに公開されたのであります。いつ、どこで、だれが、日本人として初めて写真を撮影したかということは未だ正確を期し得ないのでありますが、その間およそ100年。それは23年間にわたる戦後の写真の進歩発展の過程からすれば、遠い過去に追いやっても止むを得ないような年月を経てしまいました。戦前、戦中の写真家の多くは、前向きを必要とすればするほど、過去をすてたいと思うでしょうし、戦後の写真家においてはつぎつぎと変転する流動的な写真の世界で、過去を見つめたり、探究したりする作業はあまり考慮されなかったのではないかと思います。
次のページでは、編さん委員会による次のような問いかけを含んだ文章が掲載されています。
悲惨な戦争(戦争期・原爆)をはさんで今日、写真はようやくその歴史の上でもかつてなかったほどの隆勢期を迎え、文化全般の重要なエレメントになっています。それは例えば、新聞のニュースにはじまり、広告・ファッションから新聞にはさまれて毎朝とどけられるスーパー・マーケットのちらしに至るまで、日常わたしたちが接する写真の膨大な量をちょっと考えるだけでも疑うべくもない事実だと言えましょう。
しかもわたしたちは単にこの氾濫する映像の一方的な受け手にとどまるのではありません。家族や友だちのスナップ撮影は誰もが日頃経験していることです。つまりわたしたちはしらずしらずのうちに記録という行為へ積極的に参加してもいるわけです。
情報機関、マス・メディアの発達につれて写真の役割はこれからもますますその重要度を強めてゆくことは疑いようもありません。この写真をいかに撮り、またいかに見るか、それはこれからの日本文化のあり方にすくなからぬ影響を与えずにはおかないでしょう。
ところがこのような記録という行為に対してそれを職業とするわれわれ写真家は意識的な反省を加えたことがかつてあったでしょうか。かつてわれわれ職業写真家は記録行為への反省を欠いたばかりに暗い歴史への共犯者になったことはないでしょうか。
こうした文章の語調や内容が興味深いのはもちろんですが、レイアウトなどから時代の雰囲気が伝わってくるのが、印刷物ならではの魅力でしょう。
このページは、観音開きになっており、それを開くと、「日本写真史年表 写真渡来から終戦まで」があらわれます。たった4ページの年表ですが、これこそが、日本人による写真表現の歴史記述のはじまりだったと考えると、感慨深いものがあります。
さて、同展については、すでにさまざまな考察がなされていますので、関心のある方には、そちらを参照していただくとして、ここでは、この冊子を購入したときの、思わぬ収穫を紹介したいと思います。
古本には、いろいろなものが挟まっていることがありますが、この冊子には、西武池袋店7階SSSホールでの展覧会の半券が挟まっていたのです。しかも、最後のページには、万年筆でのメモが記されていました。こうしたものがあると、臨場感が一気に高まります。ときにこのようなアタリがあることが、古本を入手する楽しみでもありますね。
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