ご存じだったでしょうか。オーストリアのマウトハウゼンに、ナチスの強制収容所である「マウトハウゼン強制収容所」があったことを。
そこに、ある”写真家”がいたことを――
冒頭、以下の言葉が、うごめく灰色のモヤモヤの上に写し出されます。
“マウトハウゼンに収容されたスペイン人は7000人以上
フランス軍と戦った兵士や内線で敗れた者たちだ
フランコ政権のスニエル外相は
ドイツ軍に捕らわれたスペイン人達の国籍を剥奪
母国に見放された彼らは
ナチスの格好の餌食となった”
そこから次第に背景のモヤモヤにピントが合っていき、ようやくそのうごめく灰色が、ぼろぼろに傷ついたスペイン人の群れであり、まさに今、マウトハウゼン強制収容所に収容されるところだとわかるのです。
まだあどけなさの残る少年から、もう倒れそうな老人まで、いきなり人々は服を脱がされ、全財産を奪われ、髪も剃られ、雪の残るふきっさらしの中、全裸で立たされます。人間の尊厳なんてどこにもありません。そのがたがた震える人たちを前に、優雅に三脚を広げ、のんびり撮影している軍服の後ろ姿。
そこでカメラがぐるっと回り込んで、写しているナチス側の人間の、正面のカットになります。見ていたわたしは、ハッとなりました。
ライカだ……。
そうなんです、大戦末期でドイツですから、時代は合います。わたしが持っているのはライカⅢ f、時代はさすがにもっと後のものですが、それとほとんど見た目が変わらない形の、ライカDⅡを使って、撮影している。撮影しているのは”マウトハウゼンの目”パウル・リッケン・記録係。実在の人物です。
わたしが海遊びとか山とかで楽しく撮影しているカメラと、ほぼ同形のカメラが、ナチスの強制収容所で記録として使われていた事実に、打ちのめされます。
さて、この映画の主人公は誰かというと、スペイン人のフランセスク・ボシュ。父親が写真好きで、暗室作業を多少知っていたことから、ナチスの記録係である、パウル・リッケンの写真助手をつとめることになります。
ちなみに、この収容所ではそういった医学・語学・写真など、何らかの特殊技能がある者は、「使いでがある」と、事務などの作業ができるのに対し、ここマウトハウゼンは花崗岩の産地。「使えない」「いらない」と判断された大部分の囚人たちは、「死の階段」と呼ばれる急な石段を、歩くのもやっとくらいの重さの花崗岩を背負って登らされ、鞭で追い立てられ、疲弊して死ぬだけの過酷な日々が待っています。石段途中で死んだ者は横にどかしてそのまま、生き残ったとしても、食料はほとんど与えられません。その死の階段は、「石段のどの段にもスペイン人の血が染みついている」と言われるほどでした。まさにナチスの、死ぬまで役立つようにこき使ってやろうという「労働を通じた絶滅」の言葉通りです。
囚人とされた人間たちの命はかぎりなく軽く、書類上で数が合わなくて(あっ人数合わないな……一人多いかな?)となったら、即座にその場でひとり射殺し、「まあ、俺のミスになったら嫌だし」と、蚊でも殺したかのように平然としています。いくらなんでもひどすぎる。そんなの映画的な演出じゃないか、と思いましたが、どうやらそれらは強制収容所内で実際に行われていたことのよう。それだけではなく、目を覆うような、もっとひどいことも公然と行われていて……。
フランセスクは、ナチス側のパウル・リッケンの写真助手をしていますが、手伝うのは暗室作業だけにとどまりません。撮影助手もつとめます。どんな写真を撮影するかというと、囚人達が楽しげにゲームをしている写真や、みんなでリラックスしている写真です。もちろんそんなものは演出、ライティングや構図に凝りに凝った、パウル・リッケンの指示通りに人や小物を配置していきます。写真として美しく、少しでも「映える」ように。
脱走犯を射殺したように演出するため、主人公であるフランセスクに、そこにある死体を有刺鉄線にひっかけろという指示も出ます。その死体は、たいした理由もなく射殺された仲間の死体でした。
それらの写真はマウトハウゼンの記録写真とは言え、プロパガンダのためのもので、真実とは異なるフェイクです。とはいえ、ナチスの記録係であるパウル・リッケンは、根っからカメラも写真も好きなのでしょう。愛用のライカで、嬉々として収容所内の写真をあれこれ撮り回っては、暗室にこもっています。フランセスクに暗室で覆い焼きのテクニックを教え、よりドラマチックに写真を仕上げるにはどうすればいいか、ということも説きます。マウトハウゼンでの写真を、「アート」「作品」と呼んでいるのです。フランセスクが写真を見て、「……真実ではありません」と言うと、パウル・リッケンは「真実など存在しないよ。視点がすべてだ」と言います。(写真を撮る者として、絵的な美を追究するパウル・リッケンの気持ちもわからないでもない自分が、怖くなります)
ナチスは戦況が悪くなってくると、すべてのネガを焼き捨てるよう指示を出し、証拠隠滅を図ろうとします。
囚人であるフランセスクは、これらのネガがすべて焼却される前に、なんとかこのネガを強制収容所の外へ運べないか、と考えるわけです。このままでは、強制収容所内での虐待や拷問、仲間たちの死が、何も無かったことにされてしまう。ネガはただ一つの証拠だ、と。
フランセスクは仲間を募ります。当たり前ですが、最初は皆、「ネガより命の方が大事だ」と言い、にべもなく断ろうとします。ここ強制収容所では、少しでも怪しい動きをすれば、すぐに棒打ちや殴打などの拷問や射殺、絞首刑が待っています。誰だって命が惜しい。わざわざことを起こして、死にたくはありません。
でもフランセスクは譲りません。「証拠があれば告発できる」「帳消しにされたいか。写真が無いと誰も信じてくれない」。
賛同した仲間達が、包帯の下に、本の中に、身体に巻いて、柱に隠して、証拠となるネガを外に持ち出すために、それぞれに命を賭けます。
さて、このネガは果たしてどうなるのか、フランセスクと仲間達はどうなってしまうのか……それはぜひ、みなさんの目で確かめていただきたいです。
エンドロールはいつも見ない派の方も、絶対に、絶対に、この映画のエンドロールは見ていただきたい。マウトハウゼン強制収容所の写真をテーマにしようと決めた、マル・タルガローナ監督の、なみなみならぬ決意の程がうかがえると思います。
映画自体の描写は淡々としていて、無理に音楽で盛り上げたり、登場人物が慟哭したりという、過剰な泣かせ演出はありません。それでも、わたしたちカメラ・写真好きには、きっと心にせまるものがあるのではないでしょうか。人生のすべてを賭けても、どうしても伝えたかった写真があったということを、わたしは忘れません。
“一瞬が永遠になる”写真を撮ることの意味を、深く考える一本となりました。
わたしのライカⅢ f。この映画を観た後で、ライカの歴史に思いをはせました。このⅢ fは、どんな人が、どんな景色を撮ったのでしょう。
Netflix映画『マウトハウゼンの写真家』独占配信中
https://www.netflix.com/jp/title/80191608
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