人は、海派の人間か、山派の人間かに分かれると思うのですが、みなさまはどちらでしょう。瀬戸内で生まれ育ったわたくしは、だんぜん海派で、高い山自体周りにないし、まして登山には全く縁がありません。上り坂すら嫌いです。
それでも人生一度は登っておこうと、富士山に友人と登ったことがありました。数珠つなぎのようになって、前の人が一歩進んだら自分も一歩進む、空気が薄いせいか頭痛と吐き気がして辛く、道端にはダウンした人が死屍累々という感じで、いざ頂上まで登ったら曇りで何も見えず、半泣きだったのを覚えています。
登山する人の気が知れない――とつねづね思っているのですが、それでも夢枕獏先生のすごいところは、そんな平地の民のわたしでさえ、読んでいるうちに(ああ、いま山の中にいる)と、岩肌に立つ自分をありありと想像できてしまうところです。山岳小説ジャンルでは、名作「上弦の月を食べる獅子」と「夢枕獏 山岳小説集 呼ぶ山」を読みましたが、どちらも傑作。
それでも「神々の山嶺」は未読でした。あまりにも「上弦の月を食べる獅子」が面白かったので、名作の誉れ高い「神々の山嶺」は、後に取っておいて、体力のあるときに大事に読もうと思っていたのです。
フランスでもアニメ映画になったことで、このたび「神々の山嶺」のことを思い出し、そういえばコミック版もあったな、と試し読みを見て、はっとなりました。
そうです、カメラです。
カメラがメインとなった、カメラ小説というわけではないのですが、「神々の山嶺」は、作中、カメラがものすごく重要な役割を果たす物語となっています。
まず1924年、標高8620メートルの地点から話は始まります。舞台はエヴェレストに挑むイギリス人登山家・ジョージ・マロリーと、アンドリュー・アーヴィンが、初登頂に成功したのか、しなかったのかわからないままに、消息を絶つ場面から。
この「神々の山嶺」は超有名作ですし、ネットでも一部のコマが抜き出されていることもあるので、みなさんご存じかとは思いますが、もし未読の人がいらしたら、ぜひじっくり読んでいただきたい。谷口ジロー先生の描く山脈のタッチの、なんと美しいこと。ある意味、写真よりも真実味のある、山の写実的な風景。あとがきで、原作者自ら、”もしも、『神々の山嶺』を漫画化する機会があったら、その書き手は谷口ジロー以外にはないと前から考えていた”と最初に書いてありました。作もすごければ、画もすごいという奇跡のようなこの作品、手に取ったらもう、黙って先を読むほかないくらいの迫力に満ちています。
場面は1993年にうつり、ネパールの首都、カトマンドゥで、エヴェレスト登山隊のカメラマン(愛機はニコン)である深町誠が、ある登山用品店で一台のカメラを見つけます。登山用品店とはいっても、ヒマラヤ遠征隊が残していった登山用具を売る、中古屋のような店です。そのため、出所のわからないものも、たくさん棚に並んでいます。
そのカメラが、コダック社のベスト・ポケット・コダックだとわかった深町は、そのカメラを買い求めます。
ベスト・ポケット・コダックのコマです。このカメラの謎をめぐる壮大な物語。
美しいベスト・ポケット・コダックの描きこみ。
深町が使うのがニコンの一眼レフカメラなのに対し、店で見つけたベスト・ポケット・コダックは、蛇腹を開いて使うタイプの、古いカメラです。フィルムはベスト判(ブローニーフィルムより少し小さい127フィルム)。蛇腹を畳めば薄くなり、持ち運びはしやすくなります。荷物の少しの重さ大きさが、命を左右する登山では、もってこいのカメラですよね。
なぜ、こんなに古いカメラがここに……と深町がいぶかしむうちに、気付きます。このカメラこそ、もしかして、あの消息を絶ったマロリーのカメラではないのかと。
もしも、マロリーのカメラだとしたら、マロリーがエヴェレストの初登頂に成功したのか、しなかったのか、謎のままの登山の歴史が、このカメラによって大きく塗り替えられることになるのではないか――。
ところが、そのマロリーのカメラは、カメラに価値があるとにらんだ、泥棒に盗まれてしまいます。
深町がカメラの出所を探るうちに、マロリーのカメラを拾ったのは、ある日本人だということに行き着きました。通称”毒蛇”ビカール・サン。謎めいた男。
――あんた、羽生丈二さんじゃないのか――
深町は謎の男に声をかけますが、その男、ビカール・サンは何も言わず、去って行きました。
日本の登山界から消えた、羽生丈二の足取りを追っていくうちに、山と共にある、彼の壮絶な人生が少しずつ見えてくるのです。
わたしは登山に関してほとんど知識が無かったのですが、垂直、もしくは反り返った壁を真冬に登りたいと思う人が存在するということも衝撃だし、はしごとか鎖とかがあらかじめ上から伸びているわけじゃなくて、垂直なところにピッケルを打ち込んで、身一つでじわじわ登っていくというのも、読んでいて心臓がキュッとなったし、夜休むのは、絶壁のくぼみのこともあるというのがもう、よりにもよって、こんなに危ないことをなぜ……、と思うのです。ただ登るだけでもすごいのに、雪崩に落石、薄い空気に寒さと、命がいくつあっても足りないような危険が次々に襲いかかります。狂気にも似た執念。
冒頭のページ。マロリーの言葉です。
二巻の表紙。すさまじい山への情熱に、息を止めて読んでいました……。
当然ながら、作中、人もいっぱい亡くなります。ある人が亡くなったときの絶望は、わたしの心にも染みました。大自然に比べたら、人間の身体の何と脆弱なこと。それでも人は、山に登るんだろうな、と思います。
ベスト・ポケット・コダックは、果たしてマロリーのカメラだったのか、なぜ羽生丈二は日本を遠く離れ、カトマンドゥにいたのか、わかってくるにつれて、物語は壮大な広がりを見せます。
全五巻、漫画史に残る圧倒的な名作なので、体力のあるときにぜひ一気読みを。
「神々の山嶺」全五巻とわたしの愛機ニコンF3。
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