top コラムカメラ的本棚第11話 「思えば遠くにオブスクラ」靴下ぬぎ子(秋田書店)

カメラ的本棚

第11話 「思えば遠くにオブスクラ」靴下ぬぎ子(秋田書店)

2022/09/13
柊サナカ

カメラを持って海外旅行に行きたい。

ヨーロッパの国を周遊したい。

本場のおいしいものも、たらふく食べたい。

 

憎きコロナ禍とこの円安のせいで、海外旅行はいまや遠いものとなってしまいました。ここ数年、海外旅行から遠ざかっている人も多いのではないでしょうか。


そんな中、手に取ったのがこの「思えば遠くにオブスクラ」です。

まず、オブスクラといえばカメラ・オブスクラのオブスクラなのだろうし、表紙の女の子もカメラを提げています。もしかして、カメラ系の話なのかな、と興味を引かれ、読んでみることに。

 

背表紙のカメラ・オブスクラ。

 

この「思えば遠くにオブスクラ」のお話は、2019年の3月、ベルリンのテーゲル空港に、主人公の片爪亜生が到着するところから始まります。彼女は28歳、スタジオから独立して半年というフリーカメラマン。でも表情は、希望にあふれていて、めちゃくちゃ嬉しそうというわけでもない。大きなトランクを手に、不安げで、目の下にはくまも。(ですよね、フライト長いですし、時差もつらいし……)

次のページで、いきなりその事情がわかります。なんと今まで住んでいた東京のアパートが放火のもらい火で全焼。住むところも、持っていた服や本なども全部焼けてなくなり、次の家をすぐ探さなければならないはめに。スタジオから独立してフリーカメラマンとなっていたものの、特に仕事もないというのも辛い。レンズ等の機材だけ残ったのは不幸中の幸いと言うべきか。 

 

そんな中、友人がベンチャー企業に転職したという話を聞きます。その仕事内容はというと、ヨーロッパの街角で、定点カメラのように撮影した風景のコンテンツ動画を、モニターに流すというもの。その撮影をしてくれるカメラマンを探しているので、現地のカメラマンを知っていたら紹介してほしい、という流れになり。

すると、片爪は「次住むの、ヨーロッパにしようかな」と唐突に言い出します。本当に唐突に。次は高円寺あたりに住みたいな……みたいな軽いノリです。言葉も文化も違うのに大丈夫なの? 読みながらちょっと心配してしまうくらいの軽さ。

 

片爪愛用のレンズはツァイス。レンズにはZEISSマーク。ツァイスはドイツ。「じゃあドイツ」と行き先も決定。

それならば、ということで、ベルリンにいる友人の知人に連絡を取り、シェアハウスをすることに。この間10ページほど。なんという潔さよ……。いいですねえ、若さというものは! これくらい後先考えなく動ける主人公がちょっとうらやましくもあります。そんなわけで、トランクひいてもうベルリンへ。

 

帯もかわいい。ドイツ・ベルリンでの知らないことだらけの生活のはじまり。

 

ふつうこういった海外移住系の漫画と言えば、長年の夢が叶ったとキラキラして、希望に満ちあふれていて、テンション高くあちこち飛び回ったり、周りの人とコミュニケーションをはかったり、いきなり海外の謎めいたイケメンと恋愛しだすのが常ですが、この「思えば遠くにオブスクラ」では、何にも無くガランとした自分の部屋に到着し、マットレスの上に寝転んで、「つかれた」と天井を見上げるのです。そんな片爪にすごく共感しました。

 

みなさんにも経験があるでしょうか。新天地の一人暮らし。新しい部屋。とりあえず寝転んだベッドから見える景色。遠くから何かの音が響いて……どこかもの悲しくて、静かで。これから新しい生活が始まるんだという、緊張と不安と期待と。「思えば遠くに来たものだ」と片爪が言いますが、そうだ、自分にもこういう日があったな……と、なつかしく思い出しました。

 

片爪の仕事は、街角に三脚を立てて、動画を撮影するという仕事。モデルさんがいて、撮影してという、いわゆる、カメラマンと聞いて想像できるようなカメラマンの仕事とは一風違った、街角での動画撮影です。音も拾うので、早朝など人の少ないところを狙って出かけていきます。読みながら、このお仕事、わたしもやってみたい……いろんな街を点々としながら撮影してみたいなと、心から思いました。(そして、こんな世界の窓っぽいモニターがあったら本当に楽しそう)

 

こちらの靴下ぬぎ子先生、絵が本当に美麗で、デフォルメと精細な絵のバランスがすばらしく、本当にドイツの街中を見ているよう。いらしたことのある方は、きっと懐かしくなるんじゃないかなと思います。現地の人々との片言でのやりとり、なかなか通じなくて悪戦苦闘したり。珍しい食べ物にこわごわ挑戦する様子や、体調を崩したときの日本食のありがたみ、移住者ならではのあるあるや、現地ならではのおいしいものも。

日本から追いかけてくる後輩あり、移住をやめて郷里に帰る人あり、骨を埋める覚悟の人あり、移住生活もさまざまです。海外生活は、どこか長い旅をしているみたいで、根底に流れる、乾いたもの悲しさみたいなものが、しっかり描写されているのも、この「思えば遠くにオブスクラ」の大きな魅力でもあります。

 

中身を少し紹介。こんなお仕事やってみたいです。

 

片爪は、カメラマンでありながら、人を撮るのが苦手だという描写が、冒頭からたびたびなされます。動画撮影の仕事に、すぐとびついたのもそのせい。なぜそんなに人を撮るのが苦手なのかという謎も、上下巻を読むうちに次第に解けていきます。


題名のカメラ・オブスクラや、下巻では暗室作業やライカM6も登場。

なぜこのオブスクラが題名になったのかということも、じっくり味わっていただきたい。

あるおばあさんの写真を撮ることになって、片爪自身もいろいろと成長していく様子や、海外でできた友達とのあれこれなど、カメラ・美味しいもの・海外での新生活がうまく組み合わさっていて、「思えば遠くにオブスクラ」は、このコロナ禍でこそ読みたい話ではないでしょうか。


いま読み終えたわたくし、旅行に行きたくてたまりません。行きたいなあ……。

 

 

ライカM6ではありませんが、同じM型ライカとともに。作中のライカのくだりも素敵でした。

 

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