top コラムカメラ的本棚第4話 「無能の人・日の戯れ」つげ義春(新潮文庫)

カメラ的本棚

第4話 「無能の人・日の戯れ」つげ義春(新潮文庫)

2022/03/01
柊サナカ

「無能の人・日の戯れ」つげ義春(新潮文庫)

 

昔、ヴィレッジヴァンガードがまだ書店だった頃の話です。まだ書店、と言っても今も書店ですが、今は書店というより、おもしろ雑貨店という様相になっていますよね。
昔は――わたしがまだ二十代だった頃は、ヴィレッジヴァンガードの品揃えは9割がた本で、残り1割がトイカメラや各国の雑貨といった感じでした。いまは無き神戸店に行くのが大好きで、そこにはキレッキレの選書でずらりと並べられた画集・写真集や本があり、どうやったって図書館では置いていないようなジャンルも並んでいるので、とても面白かったのです。(ちなみにヘンリー・ダーガーにとてもはまって、ドキュメンタリー映画まで観に行きました)

 

そんなサブカルに憧れを持つ田舎の若者が、前提として読んでおかなければならない参考文献がありました。それが「つげ義春漫画」であり「ガロ」であり「COMICばく」です。「それって無能の人みたいー」「ほんまやね」と適当に話を合わせながら、読んでいる振りをして、つげ義春漫画をちっとも読んでいなかったことを、ここに告白いたします。
だってつげ義春作品が苦手だったのですもの。

 

石を売る話では(えっ……もっと一個一個にPOPとかつけたらいいのではないの? 真剣に売れば、石だってもっと売れるのでは? この主人公、やる気はないのか?)などと思い、主人公のぐだぐだの行動がまったく理解できなかったのです。もう本当ダメ男やん! と思えてしまって。 
それでも、どうやらこの「無能の人・日の戯れ」には、1話だけ、カメラを売る話も出てくるらしく、渋々(苦手なんだけどなあ……)と思いながら読み始めました。

 

最初の話は「退屈な部屋」という話ですが、妻に内緒で部屋を借りている男の、私小説風のモノローグから始まります。借りていると言っても、今住んでいるところから10分くらい。何の家具もない、狭い部屋です。本名ではなく、偽名で借りています。
その狭い部屋で、主人公は何をするでもなく、ゴロゴロしたり、ぼんやりしたり、昼寝したり……。

 

わたしはそれを読んで(ああ……すごくわかる……)と思ってしまったのです。今の年齢になってようやくわかる、つげ義春作品の味。
いや、今の暮らしを完全に捨てたいとか、もう別居したいとかそういうわけじゃなくて、ちょっとだけ日常の繰り返しからはみ出たところで、偽名で自分だけの部屋にふらりと行って、一人でこもっていたいっていう気持ちは、誰にも少しはわかるはず。日常に疲れ気味のお年頃ならなおさら。

 
そういった需要に応える、書斎向けや趣味用・作業場向け賃貸なども実際あるそうですね。布団一枚がやっと敷けるような狭い部屋も、需要があるのだとか。
部屋を借りるまではなくとも、ある人は撮影旅行に行ったり、一人キャンプしてみたり、またある人はツーリングや自転車に乗ったりして、日常を離れたがる。
 
そういった誰にでもある心のすきまみたいなところを、この「退屈な部屋」はいきなり突いてくるのです。劇的な何かが起きるというわけではなくて、スッ……と話は終わるのですが、妙に癖になって、なんども読み返しています。

 

この「無能の人・日の戯れ」を読んでいて、唐突に思い出した写真があります。
それはもう6、7年前の写真新世紀に出ていた写真で、タイトルも写真家の名前も忘れてしまって申し訳ないのですが、「遊園地や行楽地で家族サービスをする父親と母親が、一瞬だけ浮かべた虚無の表情」だけをいろいろ撮り集めた作品集でした。
その表情はものすごく空虚に見え、疲れたような無表情と、光のない目がどこか怖くもあり、たぶん一瞬後には、子どもたちのためにも、楽しそうな表情にぱっと戻るのでしょうが、父と母という役割やしがらみと、自我のズレみたいなものが、そこにはありありと写し出されていて、すごい写真だったなと、今でもよく覚えています。

 

問題の、カメラが出てくるという第五話、「カメラを売る」は、天神様の縁日へ、主人公がやってくるところから始まります。町外れに、知り合いの中田さんが骨董屋を開いたことを知った主人公。まあ骨董屋と言っても中田さん本人自ら、「ガラクタばかりのゴミ屋でして」と言っているくらいのお店なのですが、主人公は、ゴミに埋もれるように暮らす、その中田さんの佇まいを好ましく思うのですね。

 

訪ねていったのに、手ぶらで帰るのもなあ、と気を遣った主人公が、適当に買って帰ったのが、故障したカメラでした。それも、オリンパス35のⅣ型。
その故障していたオリンパス35を、千円だし、と思いつつ、軽い気持ちで修理してみたら、思いのほか簡単に故障が直った。それと同じカメラが、カメラ店の店頭で一万四千円で売られているのを知った主人公は、カメラの修理転売を始め、みるみるうちにカメラの在庫は二百台に……。
というストーリーなのです。どうです、気になりませんか?

 

オリンパス35のⅣ型は、漫画の描写にもありましたが、シャッターはレンズシャッターのコパルでしょうか。これが布幕だったり一眼レフだったりしたら、修理も専門的になってしまって、修理工具のない素人ではとても手は出せなかったでしょう。
このあたりの描写を読んでいて、つげ義春先生はカメラがお好きで、本当に過去にカメラを分解しているんじゃないか、と思えてきて、ネットで検索してみたら、つげ義春先生が、カメラに囲まれてご満悦の写真が出てきて、(なるほどなあ)と思ったのでした。

 

しかしながら、「カメラを売る」については、それってカメラ転売のお話? それのどのへんがどう面白いの? とお思いの読者の方もいることでしょう。このお話はカメラを転売して大儲け、主人公が億万長者になるサクセスストーリーではないし、全米が涙したとかの感動の涙も、スカッとするような勧善懲悪も、ためになる教訓も、カメラ転売に役立つコツも出てきません。それでいて、お話のところどころで、いきなり人生の深いところを刺しに来るような妻の台詞や、子供のひとこまひとこまの描写に引き込まれるのです。

 

「無能の人・日の戯れ」のストーリーでは、一時はカメラもよく売れるのですが、それがずっと続くわけもなく……その結末はどうぞ、この「無能の人・日の戯れ」で確かめてみてください。
寂寞とした、独特の間を持つこの一冊は、やる気と希望に満ち溢れた青々した十代二十代では、良さがそこまでわからないかもしれません。
若いとき楽しめなかった作品を、深く楽しめるようになるという点においては、歳をとるのもなかなか悪くないなと思えます。
https://www.shinchosha.co.jp/book/132813/

 

今回はキンドルで準備しました。キンドルオアシスはなかなか使い勝手がいいです。漫画にもいくつか背景に出ていたボックスカメラを添えて。

 

「カメラを売る」話、ぜひどうぞ。

関連記事

PCT Members

PCT Membersは、Photo & Culture, Tokyoのウェブ会員制度です。
ご登録いただくと、最新の記事更新情報・ニュースをメールマガジンでお届け、また会員限定の読者プレゼントなども実施します。
今後はさらにサービスの拡充をはかり、より魅力的でお得な内容をご提供していく予定です。

特典1「Photo & Culture, Tokyo」最新の更新情報や、ニュースなどをお届けメールマガジンのお届け
特典2書籍、写真グッズなど会員限定の読者プレゼントを実施会員限定プレゼント
今後もさらに充実したサービスを拡充予定! PCT Membersに登録する