©SZUPERMODERN STÚDIÓ
ポスト・モーテムフォトグラフィー(遺体写真)のことを知ったのは、銀板写真とも呼ばれる、ダゲレオタイプのことを調べていたときです。
写真の歴史を本当にざっくり端折って言ってしまうと、ご存じの通り、デジタルの前はフィルム、フィルムの前はガラス乾板、その前はガラス湿版、そのもっと前はダゲレオタイプといい、銅板に銀メッキをしたものを使っていました。
このダゲレオタイプ、露光にものすごく時間がかかります。今なら1/1000秒で撮ったりする写真が、ダゲレオタイプなら30分もかかったりします。人間が30分静止するのは、棒などで押さえていてもなかなか大変です。でもそれが、動かない人間だったら、どうでしょう。
というわけで、諸説ありますが、遺体の写真をダゲレオタイプで撮影するということが実際に行われていたようです。
それを踏まえてのこの作品、「ポスト・モーテム 遺体写真家トーマス」(ベルゲンディ・ビーテル監督)なのですが、作品の時代は1918年。ハンガリーの作品です。ハンガリーのホラーって、みなさん観たことありますか、わたしは無かったので興味津々です。
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1918年というと日本では大正7年、ちなみに、そのころはすでにフィルムもあった時代でした。ロールフィルムもあります。
作中、主人公のトーマスが、戦地で死にかけているところから話は始まります。死にかけているトーマスに呼びかけるのは、美しい少女。その声に導かれるようにして、トーマスは息を吹き返します。
戦争が終わった後、トーマスは見世物小屋に併設されている写真館で働き始めます。その写真館には死体が運ばれてきて、死体と家族写真を撮るという、”ポストモーテム写真館”なのです。
もうここから文化の違いをとても感じました。死体は着飾り、化粧もした後、当然座った姿勢を保てないので、押さえ棒で首や頭などを固定して撮影します。フラッシュを焚いて(閃光粉タイプですね)大判カメラでの撮影でした。
現像し、プリントができたら、家族は悲しみながらも、写真がうまく撮れたことに喜び、遺体と写真とを大切そうに持って帰ります。
日本人の感覚から言うと、遺体の写真を撮るのはなぜか、ためらわれませんか? どんな豪胆な人でも、抵抗がないという人は、あまりいないような気がします。日本では、地方に至るまで、遺体写真を撮る文化というのもあまりないようですし。でもアメリカ、イギリス等では、実際にそういった遺体写真が、かつて撮られていた所をみると、土葬や火葬の違いもさることながら、国や文化によって死生観も大きく違うのだろうな、と思います。
トーマスは、臨死体験中に観た、美しい少女のことを忘れられなく過ごしていたのですが、なんとその少女とそっくりな少女が、実在していたのです。
その少女、アナは、”わたしの村には死体がいっぱいあるから、来て欲しい”とトーマスに頼みます。このアナ役の少女、10歳の設定です。その年頃の少女というと、大人と子供の境という感じがして、どこか神聖な美しさがあるものですが、このアナ役の子役の美しさは、女のわたしでもほれぼれするくらいの美ですね。トーマスがふらふらと村に行っちゃう気持ちもわからんでもない、と納得する魅力でした。
アナの村は、冬のハンガリーの田舎の村ということで、存在自体がもうモノクロ写真のような、一切の色彩を無くした村でした。ハンガリー、本当に美しいところだな、と心奪われます。でもどう見ても、よそ者を歓迎する雰囲気はありません。マスクの代わりなのでしょうか、頭にずた袋みたいなのをすっぽりかぶっている人もいるし、怯えた目で見てくる人もいるし、あちこちに遺体がそのままになっていて……。
戦争とスペイン風邪の蔓延で、村にはおびただしいほどの死者が出ていました。どの家庭も、家族の誰かを亡くしているというような、すさまじい状態です。アナも家族全員を亡くし、脳梗塞を患ったおばと暮らしています。ハンガリーの冬は、土もカチカチに凍り付く厳しい寒さのようで、もはや土を掘ることもできないため、亡くなっても埋葬できないそう。そのため、死体はただ凍ったまま、あちこちに置いておくしかないようです。
そこで主人公のトーマスが空き家を借りて、ポストモーテム写真館を始めます。みなさん愛する家族の遺体をいろいろ運んできて、家族写真を撮ります。亡くなった夫と妻、亡くなった子供と親兄妹、亡くなった妻と夫……。
しかし、遺体写真家って響きからして、もう馴染みがないじゃないですか。ご遺体、凍ってたり死後硬直しているために、わりに強めにゴキッ! とかメリメリ! とかいう感じで、プロレスっぽくポーズを取らせるんですよね。内心(ええんか……?)となり、”おくりびと”とは全く違うメンタリティに衝撃を受けたりしました。たぶん、実際もこうやって遺体写真を撮っていたのでしょう。わたしの想像をはるかに超える撮影風景だったので、これは実際に、ぜひみなさんの目で観ていただきたい。
そうこうしているうちにも、村では不吉な事件が続きます……。夜に、誰も居ない空間から、不吉な足音。日本でも幽霊が出るホラーはたくさんありますが、ハンガリーホラーは何かと気配が強い。幽霊が、天井をダッダッダッダッと走ります。ランニングしているよう。アジアホラーとはまったく違うホラー感。
そんな中で、カメラと写真というのが、異界とこの世を繋ぐ重要なアイテムとして描かれます。そうなんです、”心霊写真”はこのデジタルカメラ全盛期で、下火になってしまったかもしれませんが、依然ホラーとカメラは親和性が高いようで、カメラ&写真ホラーの映画は結構見つけることができます。本作でも写真は、霊を特定する重要なアイテムとなります。
中年男トーマスと、美少女アナのバディが、協力して村の怪異を探るのですが、幽霊たちはついに行動を起こし……昼間だろうと、人数多かろうと、広場だろうと関係ない、激しく呪ってやる、宙に浮かせてぶち殺すという強い霊パワーに、おののきながらの115分でした。
遺体写真に関しては、こちらの本でも言及がありましたので、よかったら。「写真のボーダーランド」浜野志保(青弓社)
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