(c)Cavalier Films Ltd
”ジャケ買い”という言葉がありますよね。レコードもCDも持たなくなった、配信で曲を聴く世代の人たちには、もう遠い言葉になってしまったのかもしれません。
この映画は、アルバムジャケットの撮影とデザインを請け負う会社「ヒプノシス」の誕生から終わりまでのドキュメンタリーです。わたしはそれほどイギリスのロックカルチャーについて詳しくないのですが、それでも(あ、知ってる知ってる!)というものばかり出てくるのは本当にすごいことです。みなさんも、きっと見たことのあるジャケットが出てくるはず。
「ヒプノシス」は二人の天才、ストーム・トーガソンとオーブリー”ポー”ハウエルの二人から始まります。映画の冒頭、「ヒプノシス」のロゴが出ますが、なぜか象さんがひっくり返っていて、目がぐるぐるしています。なんか変なロゴだな……? と思っていたら、その理由は後にわかりました。60、70年代当時のイギリスはマリファナとLSDが大流行、二人が出会ったのも、煙もうもうのパーティ中、麻薬取り締まりの警察官がアパートに突入した大騒動の後だそう。最終的に逃げ出さなかった二人が無二の親友になり「ヒプノシス」が生まれたというのは運命的です。アイデア担当のストームに、名カメラマンのポーというのもキャラが立っていていい。
(c)Hipgnosis Ltd
彼らが出てくるまでは、アルバムジャケットと言っても、特に凝ったものではなかったそうです。「ヒプノシス」はピンク・フロイドの『神秘』(A Saucerful Of Secrets)のデザインを手がけることに。もちろんフォトショップもデジカメも無い時代ですから、カメラはフィルムカメラ、作業は暗室で、すべて手作業でなされます。暗室でネガを組み合わせ、一つのイメージに作り上げていくのです(暗室の様子も出てきます)。バンドメンバーの写真は赤外線フィルムで撮影。普通、アルバムジャケットというと、メンバーの写真と名前がバーンとあって、後ろに背景、と考えるものですが、できたデザインは、摩訶不思議な色彩と文様の中に、メンバーの四人の写真が球の中にとても小さく収まっている、という挑戦的なもの。
キワキワまで攻めたアイデアって、外れたときのダメージも大きそうだし、無難なところで収めておくか……、なんて考えていたらこのデザインは生まれていなかったでしょう。わたしはこの時代のギラギラしたエネルギーを、ちょっとうらやましく思います。しかし、よくクビにならなかったものだなと思いましたが、やはりレコード会社重役はこのジャケットに怒り心頭だったよう。
それでも時代が劇的に変わる瞬間というのは面白いもので、手がけたアルバムは売れに売れ、そこから「ヒプノシス」の快進撃が始まるのです。映画の中でもピンク・フロイドのロジャー・ウォーターズ、ポール・マッカートニー等々、超有名アーティストたちが当時を懐かしんでいますが、「ヒプノシス」の人気ぶりがわかります。
「アルバムジャケットは貧乏人のアートコレクションだ」とノエル・ギャラガーも映画の中で語っていました。「金持ちは壁にアートを掛け、労働者階級は壁にレコードを立てかける」
わたしは以前に、どうやって写真や絵画などのアートの値段が決まるのか気になって、「アートのお値段」というドキュメンタリーを見たことがあります(過去記事はこちら→https://photoandculture-tokyo.com/contents.php?i=3732)。どんなに優れたアートでも、それを求める人がほとんどいなければ、価値としては低いままです。
ピラミッドの裾野が広ければ広いほど、高いピラミッドができるわけで、アルバムジャケットをアートの領域にまで高めた「ヒプノシス」の功績は、アートの層を広げるという意味で大きかったのではないかと思います。
「ヒプノシス レコードジャケットの美学」のパンフレット
この映画は「ヒプノシス」の、アルバムジャケット制作秘話が語られるのも本当に面白く、ピンク・フロイドの「原子心母」(Atom Heart Mother)では名前もアルバム名も入っていない、ただの牛の写真だし、握手しながら人が燃えている『炎~あなたがここにいてほしい』(Wish You Were Here)は本当に人を燃やしていたんだなと、CGが当たり前の今ではびっくり。撮影時、スタントの人は、風が吹いてきて頭まで炎に包まれ、顔も火傷したとか。そしてその瞬間がジャケットに採用されたと聞いてまた驚く。採用した前後のカットも見せてもらえるなんて、なんと贅沢なことでしょう。
(c)Pink Floyd
(c)Hipgnosis Ltd
いいアルバムジャケットを作るためには、「ヒプノシス」はどんな手間も惜しまず、金にも糸目を付けません。スタジオに作られたセットではなく、エベレストに本当に銅像を持っていったり、豚の巨大風船を飛ばしたり、海に長椅子を置いて本物の羊を寝そべらせたり。いくらなんでもやりすぎ! それでもすごいのは、そのデザインが今なお輝きを放っていること。ちょっとでも何かのデザインをやってみようと思ったことのある人は、この「ヒプノシス」のデザインワークのすごさが分かると思います。わたしはあまりに心を打たれ、この映画のパンフレットと共に、「ヒプノシス全作品集」も劇場で買い求めたくらいです。
「ヒプノシス全作品集」。大ボリュームです。
「ヒプノシス全作品集」中身を少しお見せします。かっこいい……。全ページものすごいので、映画も作品集もぜひ。
それでも流行の移り変わりというのはあるもので、MTVとCDが普及しだしてからは、アルバムジャケットに、そこまで手をかけるということはなくなってしまったそうです。
映像に活躍の場を移そうとしたメンバーもいたようですが……。わたしは(こんなにすごいアイデアを持っていたのだから、さぞ面白い映像作品ができたろう、後で探そう)と思っていました。その後どうなったかは、映画を見て確かめていただきたい。
ドキュメンタリー映画は時に退屈なものですが、この映画に関しては編集も凝っていて、おしゃれでテンポ良く、当時の流行も社会の様子も音楽も次々出てきて面白かったです。あっという間の101分でした。音楽好き、デザイン関係の方はもちろん、写真をなさる方にも絶対楽しい、おすすめのドキュメンタリーなのでぜひ。
- 『ヒプノシス レコードジャケットの美学』 [原題:Squaring the Circle (The Story of Hipgnosis)]
- 監督:アントン・コービン/字幕:山口三平/2022 年/イギリス制作/101 分/出演:オーブリー・パウエル、ストーム・トーガソン(以上ヒプノシス)、ロジャー・ウォーターズ、デヴィッド・ギルモア、ニック・メイスン(以上ピンク・フロイド)、ジミー・ペイジ、ロバート・プラント(以上レッド・ツェッペリン)、ポール・マッカートニー、ピーター・ガブリエル、グレアム・グールドマン(10cc)、ノエル・ギャラガー(oasis) 他
- https://www.hipgnosismovie.com
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