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カメラ的本棚

第33話 ナン・ゴールディン「美と殺戮のすべて」ローラ・ポイトラス監督

2024/06/25
柊サナカ

カメラの会合で、あるベテランの方から、写真集あげるよ、と言われました。
 

それがナン・ゴールディンの写真集だったのです。わたしはどちらかというと、風景とか建築とか、無機質な写真を好んで見ます。なので、あまりにもなんというか、「ヒト」そのものが写りすぎているような気がして、どう見たらいいのかわかりませんでした。生々しい強さがあるというか……。

 


 

今回この「美と殺戮のすべて」はそのナン・ゴールディンのドキュメンタリーということで、ふらりと見に行きました。
 

ちなみに、わたしは先に「アートのお値段」を観ていて良かったです(過去記事はこちら→ https://photoandculture-tokyo.com/contents.php?i=3732)。美術館と作家の力関係などもわかった上で見ると、より楽しめます。

 

映画冒頭は、ナン・ゴールディン率いる「P.A.I.N」のメンバーが、メトロポリタン美術館に殴り込みにいくところから。デンドゥール神殿の展示の前で抗議の大声を上げます。薬の空瓶をそこら中に放り投げ、最後には死んだフリ(ダイ・イン)をして抗議します。わたしは最近、おかしな環境団体などが、名画にケチャップやペンキをかけたりすることを、本当に苦々しく思っていましたが、それとは全く違って、抗議にもアーティストの矜持を感じます。あくまでもアートという土俵の上での抗議なのだなと。

 

 

何に対しての抗議か――というと、メトロポリタン美術館が大富豪のサックラー家から莫大な寄付を受けていたことに対する抗議です。お金だけでなく美術品もそうで、メトロポリタン美術館には、「サックラー・ウィング」と称される区画まであって、美術館の壁にもサックラー家のプレートが誇らしげに掲示されています。サックラー家は、世界中の美術館だけでなく、博物館や教育施設にも莫大な寄付金を出している富豪一族のよう。
 

ところがそのサックラー家がどうやって財を成したかというところに、鎮静剤「オピオイド」が深くかかわってくるのです。

 

わたしは、正直なところ、アメリカのオピオイド問題に関してよく知りませんでした。ただ、薬物中毒の人をたくさん出したらしい、という理解にとどまっていました。
 

でも事態はもっと深刻なものでした。

 


 

わたしたちが、怪我などで病院に行ったら「痛み止め出しときますねー」と言われて薬を処方してもらうことがありますよね。痛いのは嫌なので、当然その薬を飲みます。でもその薬を飲んだら、あと一錠、また一錠と、ものすごくその薬が飲みたくなってしまう……。量も増やしたくなってしまう、何を考えていても思うのはその薬のことばかり、はやく粉にして鼻から吸いたい、ああ我慢できない十錠飲みたい、いっそ一瓶でもいい、となってしまったらどうでしょう。とんでもないですよね? 

 

スポーツで怪我をした学生や、ちょっとした痛みでもオピオイドは処方されたということです。いわゆる麻薬などの違法薬物とは無縁の暮らしをしていたとしても、医者の処方なら避けようがありません。オピオイド中毒での死者は、全米で50万人にも達するのだそう。重い数字です。依存症になってしまえばその人の人生ごと変わってしまいます。
 

ちなみに日本でもオピオイドは処方されますが、ガンの激しい痛みを和らげるなどの治療のみに使われ、厳格な規制のもとに処方されるそう。
 

ナン・ゴールディンも、痛み止めを医者から処方されて、それからオピオイド中毒になってしまったということです。

 

サックラー家は、そのオピオイドで得た利益で美術品を買って、美術館に寄贈し、寄付もしたということになります。
 

でも美術館の方でも寄付のお金は欲しいし、美術品も欲しい。富と権力を持つサックラー家に逆らったら、もうお金がもらえなくなってしまうかも? アーティストの方でもそうですよね、政治に声をあげた時点で、もう自分の作品が売れなくなってしまうのでは? 相手の権力は強大で、アートの世界から干されてしまう可能性もあります。だから自分の身のためにも、口をつぐんで知らないふりをするのが普通です。 
 

でもナン・ゴールディンは違いました。たったの数名で、戦いに挑んだのです。

 

 

 

この抗議活動が、どういう結末をむかえたかは、ぜひドキュメンタリー本編で確かめていただきたい。

 

彼女のこの強さはどこから来ているのだろうと思いましたが、このドキュメンタリーでは「P.A.I.N」の抗議活動と同時に、ナン・ゴールディンの姉や家族の話も語られます。絶句してしまうような展開も……。

 

わたしは今一度、ナン・ゴールディンの写真集を見たくなりました。以前はピンとこなかった写真がまったく違って見えてくるような気がするのです。このドキュメンタリー映画を観て良かった。鑑賞は体力のあるときにぜひ。
 
 

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  • 『美と殺戮のすべて』
  • 監督・製作:ローラ・ポイトラス『シチズンフォー スノーデンの暴露』 
  • 出演・写真&スライドショー・製作:ナン・ゴールディン
  • 2022年|アメリカ|英語|121分|16:9|5.1ch|カラー|字幕翻訳:北村広子|R15+
  • 原題:ALL THE BEAUTY AND THE BLOODSHED|配給:クロックワークス
  • https://klockworx-v.com/atbatb/

 

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