私は篠田に以下の資料を渡した。自主ギャラリーに興味を持ち、この調査研究を始めるにあたって、自分なりに時系などを整理することを目的に作った見た年表、あるいは相関図のようなものだ(あくまで自分のために制作したもので本来は公表するものでなく、そのため、事実誤認などの可能性があることをご容赦いただきたい)。
1974年の「WORKSHOP写真学校」が日本の自主ギャラリーの動きに深く関わっていると考えているのだが、森山大道などを代表とする世代を第一次、その世代から大きな影響をうけたPLACE M(瀬戸正人の世代)などを第二次、さらにその孫とも呼べる世代を第三次(ギャラリーニエプスなど)、さらに現在は第四次世代まで来ていると考える。ちなみにこの図は2020年の春に作ったもので、経年から新たな変化、解釈などを改めるべき点も多々あると感じている。
2020年の時点で私は「Alt_Medium」を第三世代として認識し、そう記した。
図を見た篠田は「僕ら以外の第3世代の人たちは完全に先輩という感じがあります。僕らの感覚からすると、どちらからいうと(「Alt_Medium」は)第4世代の方が近いなっていう気がします」と言葉にした。
「やっぱ、北島(敬三)さんにしろ、有元(伸也)さんとか村越(としや)さんにしろ、先輩な感じがします」
図を作る際、私は単純にギャラリー設立時期を基準に2020年を境に線引きし、第三次、第四次を区分けしたのだが、そのことに違和感を抱いたようだ。確かにそう単純にわけられるものではないだろう。
ちなみに当時私が考えていた第四次の大きな意味合としては、日本に写真を学びに来た留学生(主に中国から)が既成のギャラリー(トーテムポールフォトギャラリーなど)のメンバーに加わったり、みずからギャラリーを立ち上げる新たな動き(半山ギャラリーなど)に興味をもち、主にその活動をさしている。
篠田から複数の印刷物をいただいた。一つは展示と同時に発行された4ページほどの小冊子(A3の用紙を二つ折りにしたA4サイズの形状)である。篠田による作家への詳細なインタビューが主だ。さらに作家の略歴、作品図版なども掲載されていて、一読するとどのような内容の展示であったがかおおよそ理解できる。デザインも統一感があり、完成度が高い。
今まで制作してきたインタビュー記録。内容はAlt_Mediumのnoteでも読める。
「その小冊子はギャラリーで展覧会を開催した作家へのインタビュー集です。人によって文量が違うんですけど、若い作家からわりと年配の作家まで。企画展だけでなく、ギャラリーを借りてくださった方でも、この人だったらインタビューしてみたいなっていうこともあります。こちらから声をかける企画展とは違って、レンタルというシステムは作家の皆さんが自ら企画を提案してくれることで、こちらの世界が広がったり、そこから新たに学ばせてもらうことが多々あったりします。そういう意味でレンタルという出会いの場を大切にしているし、ギャラリー運営の核にすえているところがあります」
―基本はレンタルで、そのレンタル料をいただいて運営を回していくかたちでしょうか?
「そうですね。ただ、“レンタル”と一口にいっても、搬入作業を僕がお手伝いすることもありますし、展覧会の開催にあたっては広報活動やDMの作成といった作家のサポートは主に白濱さんがおこなってくれています。なので、どんな開催形式の展覧会であっても作家の皆さんとギャラリーが一緒に一つの展覧会を作り上げていくことには変わりありません」
―小冊子の制作は展示は終わってしまうと、インスタレーションビュー以外はほとんど記録が残らないということと関係があるでしょか?
「はい。僕と白濱さんがこれ(小冊子)を考えたのは若い作家だと、その記録がより残りにくいという傾向があるからです。いま写真の雑誌が以前ほどないということも関係しています。昔だったら雑誌の役割も活動も広くて、若い作家でも(掲載されることで)記録が残っていったような気がするんですけど、いまは残念ながら、なかなかそういう場がない。だから、こういう形でやっていかないと作家の履歴が残せない。それに作家の肉声も残らないない気がしたので。記録的な意味が大きいです」
小冊子には1991年生まれの寺崎珠真による「Heliotropic Landscape」展のために作られたものがある。偶然だが、その後、私は寺崎が2023年に出版した写真集を目にする機会があり、写真集を観ただけでは知りえなかった背景を、この小冊子を読むことでより理解することができた(そもそも写真を始めたきっかけ、被写体への向き合い方、心象など)。
同時に、小冊子はインタビュアーである篠田が、自分以外の作家や作品のなにに魅力や興味を感じているのか、さらには自身が抱く写真というメディアそのものへの問いを、作家に問うているようにも読み取れる。つまり写真家が写真家にインタビューしたものであることを強く意識させられる。個人的にはそこが断然、面白い。
「シャッターを切るときの決め手はありますか?」という質問は写真を撮る者にしかできないものだし、篠田が普段、気にかけていることのはずだ。
ベテランの写真家、飯田鉄の小冊子では、過去の作品にまで遡ってインタビューを行っている。1960年代の「カメラ毎日」について、「グラフジャーナリズムの成熟から衰退」といった話題まで幅広い。さらに「『provoke』についてどう思いますか?という果敢な質問もある。それに対し飯田から「僕は『プロヴォーク』にあんまり関心なかったんです」という言葉を引き出している。
これまでに行ったすべての展示の詳細な一覧記録によると第一回の展示は前回も触れたが美術家・山口和也による絵画展。その後、企画展が数回続く。第二回は東京工芸大学写真学科(以下、工芸大)を卒業した嶋田篤人写真展「思わぬ壺」、第3回は岡江真一郎個展「それはそれは怪しい」で内容は絵画とアニメーションによる展示。そして第4回が篠田自身による展示で「写真へのメモランダム」、第5回が同じく工芸大を卒業した喜多村みか写真展「meta」と続く。その後はレンタルが続き、ときどき企画展を行っていることがわかる。
飯田鉄 個展「あかるいかげのくに」会場の様子。飯田氏がインタビューに小さなプリントを貼り付け配布していた。
工芸大卒が多いのは、篠田、そして白濱もまたその卒業生であることと深く関係しているだろう。嶋田、喜多村も篠田の幾つか上の学年、先輩にあたるという。
私は以前から密かに感じていたのだが、工芸大出身者で自主ギャラリー的な活動を主宰、運営している(いた)者は、私が知る限りほぼいない。前述の図にもある通り、圧倒的に東京綜合写真専門学校、ビジュアルアーツ(旧・東京写真専門学校)の出身者が多い。それに対して、工芸大学、さらには日芸写真学科出身者が自主ギャラリーをみずから起こす例はどういうわけか本当に少ない。このことが実は前から気になっていた。同時になぜだろうという疑問も解消されないままあった。
私も工芸大の卒業生だが、かつて「Days Photo Gallery」という写真専門のギャラリーを2003年に始める際に、誰かに相談したかった。その際、大学の先輩で誰かいないだろうかと思いを巡らせてみたのだが、ひとりも思い浮かばなかった。もし自分が東京綜合写真専門学校を卒業していたら、いろんな先輩に相談できたかもしれないのに… と考えたりもした。そのとき初めて工芸大出身で自主ギャラリーを始めた人物がほかに比べて極端に少ないことに気がついた。
疑問はいまも変わらずある。それぞれの学校の教育の方針とかその方法、入学してくる学生が求めているものの違いなどが複雑に絡んでいるはずで、簡単に謎がとけることもないだろうが、数少ないギャラリー運営者である「同窓」の篠田に聞いてみたくなった。
ちなみに私が卒業した年(1988年)と篠田が卒業した年(2013年)には25年の開きがあり、時代も写真を取り巻く環境も大きく違う。なにより私の頃は短大だったから入学する時点で学生の意識も明らかにその後とは違うだろう。私の時代は写真館の子弟が学年の3分の1から4分の1はいた。だから作品を制作するという意識の学生の数がほかの写真学校にくらべて少なかっただろうという推測は容易に立つ。作家になるという発想は私も含めてほとんどなかった印象がある(これは時代とも深く関わることだと思うが)。学科の名前も「写真技術科」でその名の通り、技術に重きを置くという流れのなかにあった。
「80年代だと、綜合写専(東京綜合写真専門学校)はほとんど作家を養成するのが中心だったと聞いたことがあります。それに対して、確かに、かつての工芸大は技術を教育の主軸に置いていた印象があります。最近の若い工芸大の写真家(卒業生)の世代に感じますが、あんまり展覧会やらないですよね。展覧会を開催するイメージがあんまりないっていうか。もしかしたら発表の中心がコンペティションになっているのかもしれないですけど。もしメンバー制ギャラリーに参加して継続的に展覧会をするとしたら、年間の展示回数がある程度多くなるので、表現の形式をそれに適応させる必要がある気がするんですよね。つまり(メンバー制ギャラリーでは)ある程度早いペースで発表を続けることができるような形式が選ばれやすいのかもしれません。だからたとえばスナップを軸にした作品が増えてくるのかなと考えたこともありました。その点、工芸大のいまのあり方って、一つの作品とかイメージにそれなりの時間をかけてつくることが多そうな気がしています」
―なるほど。
「そうするとやはり年間の展覧会の回数が増やせない。だから現在の工芸大の世代はあんまり自分たちでギャラリー立ち上げてっていう感じではないのかもしれません。70年代だとなぜ、ほとんど自主ギャラリーに関わっていないのかという、別の謎がありますけどね、いてもおかしくないはずなのに」
―そうですね。築地仁さん(工芸大卒)が「Photo gallery PRISM(プリズム)」に参加されていますが、ほかの卒業生の名前はほとんど見ないですね。
このリストを改めて見ると、工芸大の卒業生や元教員、現役の学生(ゼミなどのグループ展など含め)などが実に多く展示をしている(私もゼミ展をやらせてもらったことがあり、その一人だ)。そういう意味では、工芸大関係者の大きな受け皿になっていることは間違いない。
なお今回、篠田自身の作家活動、その作品に関しては大きく触れなかったが、2023年から写真家、北島敬三らが運営する「photographers‘ gallery」のメンバーとしての活動も開始している。すでに「photographers‘ gallery」での展示も行なった。ギャラリーを共同で運営しながら別のギャラリーに参加することを新鮮に感じた。これまでになかった流れといえるだろう。篠田の作家としての今後にも注目したい。
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