top コラム自主ギャラリーの時代第5回 コンポラ写真(後編)

自主ギャラリーの時代

第5回 コンポラ写真(後編)

2022/12/27
小林紀晴

挿話としてひとつ。


コンポラを代表する写真家のひとりである新倉孝雄の著書『私の写真術 コンポラ写真ってなに?』(青弓社・2005年)の冒頭に興味深い記述をみつけた。

 

「コンナヘタナ写真よく人にミセルキニナッタモノダナ頭ガサガルョー」

 

という手書きの文章を撮影した写真が冒頭に掲載されている。写真展を訪れた誰かが、感想としてこの文章を残していったらしい。

 

銀座ニコンサロンでの初めての個展「セーフティ・ゾーン」の会場に備えつけたサイン帖から。当時、私は内心「しめた」との思いが全身を走り、勇気づけられた。
新倉孝雄『私の写真術 コンポラ写真ってなに?』(青弓社・2005年)

 

 
ここにも一種の二項対立(反発を含め)を見て取ることができる。この文章を書いた誰かに「コンポラ写真」はただの「ヘタナ写真」にしか映らず、苦言を呈したかったのだろう。それに対して、新倉は「しめた」との思いが全身に走った。理解されないことに快感とか優越感をもったということだろうか。正直なところ、この複雑な心境は私にはよくわからない。けなされたら、単純に落胆したり、頭に来る気がするのだが…。いずれにしても、新倉はあえて自著の冒頭に載せた。考えてみれば、そもそもこれ自体がアンチであるといっていいだろう。
 
先ほどの富山の文章には「七〇年代半ばからさらに、ギャラリー空間を自主運営する若者たちが登場してくる。この若い表現者たちの中に、乗り越えるべき課題の一つとして、この潮流が内在化されていくのである」(『日本写真の1968』富山由紀子 p176)という指摘もある。潮流とはコンポラ写真のことを指しているだろう。
 
同様のことを、コンポラ写真の誕生からおよそ20年近くたった1986年に桑原甲子雄が『アサヒカメラ』に書いた文章からも読み解くことができる(『物語昭和写真史』月曜社、一九六〇~七〇年代の動き p328)。明らかに俯瞰している。
 

コンポラという名辞のもとに写真雑誌を賑あわせた。それが一種の流行となることで否定的な批判もあったが、今日、写真表現の潮流は、多義的なスタイルの変遷を伴いながら、コンポラを基盤とした現代写真の構築がなされている。
桑原甲子雄『物語昭和写真史』(月曜社・2020年)

 

かなり遠回りした感があるが、プリズムでの大西の展示に話を戻したい。
大西は正直なところプリズム調に違和感を抱いていた。それは「プリズム」の主要メンバーと年齢が微妙に違うことが大きい気もするが、大西がみずから語っているように、経験に基づく価値観の差異がここには確実に横たわっている気がする。つまり学生運動のそれだ。
 
「私も某写真学園の教師の一人として、学校側と学生との接触と融和をはかろうとして走りまわった記憶がある。それもある晴れた日の朝、バリケードを築いたキャンパスに機動隊が突入することで、あっけなく幕を下ろしたのだった」(桑原甲子雄(『物語昭和写真史』p325)
 
この経験がある者と、それを知らぬ者では当然のことだろう。「某写真学園」とは東京綜合写真専門学校のことをさしているはずだ。
 
果たして、大西は「プリズム」でどのような展示をしたのか。大西は1976年7月28日から8月6日まで行われた「スペクタルショー Part 1」という名のグループ展に参加している。


「谷口さんたちが話しているような、あるいはその授業で出てくるような、その写真の撮り口みたいなものが、僕にはその当時はうまく伝わらなくて、僕自身はやっぱり土田さんの「俗神」なり、「自閉空間」…、「俗神」というか、「自閉空間」かなぁ、にかなり引き付けられていて、割とそういう嗜好性は強かったですね」

 

 

『インディペンデント・フォトグラファーズ』には当時の大西の作品が一点紹介されている。“シリーズ「神来臨」より”と題されたものだ。ゴザが地面に敷かれ、その上には瓶ビールなどが並んでいる。宴の跡のように感じられる。背後には波のない池があり、その向こうは緑に覆われている。地方の祭事の一場面のように感じられる。連想するのは土田ヒロミの「俗神」である。


「やっぱり土田さんを意識していますね、これ」


やはり大西自身にもその自覚があった。このとき、このシリーズを数点展示したという。

 


その年の10月大西はプリズムで初個展を行う。その名は『大西みつぐワンダーランド「写真趣味」展』というものである。


そのときの案内はがきが大西の手元には残されている。着物を着た女性の写真。これは大西の母親だ。明らかにコンポラとは違う印象を抱く。現在の大西につながる人の匂い(演歌的?)を強く感じる。


「母親の写真を展示したりしたのは、たぶんプリズムの写真に対する自分なりの反発だったと思うんですよね。要するにコンポラ以降の先輩たちの写真って、ちょっと難しい。写真って、もうちょっといい意味で気楽なものであってもいいだろうみたいな。そうすると、写真の原点である肖像写真であるとか、写真をもてあそんでコラージュしたりとか、それもありじゃないかっということで展示したと思う。プリズムのなかで異質な写真を展示したいという思いがあった。あ、なんかオレだけ違うなという感じがあった」


ほかにどのような作品が展示したのか、さらに詳細を知りたかったが、「細かい記録はもうない。このハガキだけ」という。一次資料を得ることの難しさをこんなところで、また実感した。

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