top コラム自主ギャラリーの時代第8回 イメージショップCAMP③(後編)

自主ギャラリーの時代

第8回 イメージショップCAMP③(後編)

2023/03/31
小林紀晴

(前編)より北島敬三

「個人の作家主義みたいなものって、どこか批判されていたんだよね。作家性、作家主義みたいなものは。作家ってもっと無名のものでいいんじゃないか、複数でいいんじゃないかっていう。要するに作者がある一つの権力みたいな構造で作品が成り立つっていうのが、すごく批判されてきたわけですよ。だってゴダールがジガ・ヴェルトフ集団で映画撮るとか、そういう時代だよ。


ところがね、ちょっと事件みたいなものが起きた。集団で撮ったものを『カメラ毎日』に載せたんだよね。載せるという計画もあって……阿波踊りの写真をみんなで撮って、それを『カメラ毎日』に載せるという約束も取って、撮影してきた。そのとき、メンバーの1人が阿波踊りを撮りに行く行程と阿波踊りの写真を個人の旅の記録として、同じ(『カメラ毎日』の)号に応募したんだよ。そしたら当時のデスクはホンダさんというんだけど、すごい怒って、二重応募だと言ったわけよ。阿波踊りが写ってるから。同じじゃないんだけどさ。それで、どうしようかってことになった。俺は当然、みんなで計画したから、みんなで撮った方が優先されると思ってたんだよね。結局どうするかって多数決で決めた。そのメンバーはそれ(作品)を取り下げて、予定通り俺たち載ったんだけど、そのとき森山さんが〈1人が発表できたり世に出ようというようなことが起きたときには、全員引っ込むべきだ〉みたいなことを言ったんだよね。それってさ、もう理屈も何も、ヘチマもキュウリもナスもないじゃん。めちゃくちゃだなと思った。

 

無理が通れば道理引っ込むみたいな話だから。俺、それでもう、なんか分かってさ。やっぱり個人が徹底的にやること以外にリアリティーないなと思ったんだよね、集団とかじゃなくて。写真をやる凄さ、撮ったり発表する凄さって、観念的じゃダメなんだって。ものすごい強い欲望みたいなものがないと。何か道理を引っ込めちゃうぐらいのエゴみたいのが大事だと。じゃあ自分はそのエゴをどう出すか。どうやるか。でも方法論がないわけ、それから俺、2、3年かな、CAMPで展示するのをやめたんだ。やめて、考えたわけよ」
 
私はこの話にかなり興味を覚えた。そんなこともあり後日、『カメラ毎日』のバックナンバーを何冊も端からめくってみた。本当に「集団撮影」の作品が載っているのだろうかという半信半疑な気持ちもあった。写真家の卵たちが、自分の作家名を伏せて作品を発表するということが、どうしても腑に落ちなかったからだ。「メンバーの1人が阿波踊りを撮りに行く行程と阿波踊りの写真を個人の旅の記録として」応募してたくなる気持ちの方が正直、よくわかる。

 

 

そして、1978年2月号に北島が口にしたモノクログラビアを発見することができた。「踊る阿呆に撮る阿呆 同じ阿呆なら撮らなきゃそんそん」と題された9ページに渡るもので、作者名は「集団CAMP」とだけあった。8枚の写真が使われている。「今月登場」という作品解説の別のページには以下のように書かれている。
 

「パパラッチ」とは、イタリア語でハエ野郎という意味とかで、森山大道氏をはじめ集団としてのCAMPの顔は、このパパラッチなのだそうだ。つまり、ハエのようにしつこく被写体にたかり、むらがって撮る。現在のパパラッチは12人(ひき)。そのうちの9人(ひき)がそれぞれ勝手気ままに四国に飛んでいき、踊る阿呆にしつこくたかってきた。
その成果は、第2回CAMP展(昨年12月20~25日銀座ニコンサロン )となった。
(『カメラ毎日』1978年2月号 p77)

 

 

「人」の振り仮名にわざわざ「ひき」とつけているのが興味深い。撮影には9人(ひき)で行ったが写真は8枚掲載されていることから、わざわざ足を運んだのに掲載されなかった人(ひき)が少なくとも1人(ひき)いることになる。匿名性とは別に、ここに競争原理は働かなかったのか、掲載されなかった人(ひき)から不満はでなかったのか。気になるところである。北島の作品がこのなかにあるのか、ないのかは不明である。

 


1977年12月に銀座ニコンサロンで写真展まで行っていることにも驚く。詳細は不明だが、私は理解が深まったというより、余計混乱した。


ちなみにこの号の特集は「コマーシャル第一線 操上和美の仕事」である。現在にいたるまで第一線で活躍する広告写真家である。北島が「車とか料理とかファッションとかタレント撮ろうとか、そういう形の写真家じゃ全然なくて」といった写真家の代表的な一人である。いってみれば方向性は真逆である。それが同じ雑誌の同じ号に載っていることに当時の『カメラ毎日』(カメラ雑誌)の懐の広さ、多様性を感じる。それをそのまま編集者の力量や、読者層の広さに当てはめることもできるだろう。
 
「自分のエゴをどう出すか」


その方法論を北島は考え続けたという。行き着いた答えは1979年1月から12月までの1年間にわたって「CAMP」で行なわれた連続展「写真特急便」だった。そのときの心境をこう語る。


「ちょこっと展示したって意味ない。だって、展示したら終わっちゃう。それだけじゃん。こういう、誰も来ないような新宿の小さなスペースでやることが社会的なレベルに……通用する、社会に無視されないようなことをどうやったらできるのかって考えたわけ。当時はなんとなく、みんな公平に使おうってのがあって2週間とか1週間だった。そこで1年間まずやろうと思った。でも人は来ないから毎回、印刷物も作ろうと。それで何が起きているかだけを伝えようとした。だから連続展と連続印刷物。今でいうZINEだよね。だけど、月に1週間ずつで1年間を1人で使うって、すごく身勝手な感じがするわけ、俺も周りも。だから1人ずつ口説いて、こういうことしたいので頼む、協力してくれって、そうやって実現してしたわけね。やっぱりCAMPって場所はさ、発表の仕方も発明しなきゃいけない」


発明ですか?


「発明って言葉なんだよね、キーワードは」

 

ちなみに、連続展+連続印刷物は現在、北島が中心になって運営する「photographers’ gallery」でも多く行われる発表方法だ。北島だけでなくメンバーである笹岡啓子などを始めとした若い写真家にも確実に受け継がれている点にも注目すべきだろう。それだけではなく、ほかのギャラリーや写真家においても、現在この連続展示+連続印刷物の形式で発表することは決して珍しくない。自らが運営する自由度の高さゆえに実現可能なのだ。裏を返せばメーカー系ギャラリーなどでは不可能だ。つまり逆手にとった発表形態ともいえるだろう。

 

 

確かに考えてみれば北島が言う通り、これは大きな「発明」である。昨年、土門拳賞を受賞した北島の全20巻からなる連続写真集『UNTITLED RECORDS』もまさにこの「発明」による。43年の時を経ても一貫していることに驚きもする。

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