自主ギャラリーの時代

第16回 PLACE M②

2023/12/25
小林紀晴

映画『トオイと正人』より ©︎kobayashi ksiei  

瀬戸正人はなぜ「CAMP」(イメージショップCAMP)に参加しなかったのか? 前回の続きを書いてみたい。瀬戸は東京写真専門学校(現・ビジュアルアーツ)での森山大道の直接の教え子である、同じく同校の教え子である年下の尾仲浩二は森山の強力な引力に導かれるように「CAMP」のメンバーとなった(本人曰く「CAMP」の末っ子)。状況的には瀬戸もまたそのメンバーとなっていてもなんの不思議もない。実際に「CAMP」には当時影響力があり、多くの若者が惹かれ集まっていった。
 

 その頃、僕は自分の進路に迷っていてCAMPがいつも気になっていた。同世代の若者たちが作家活動を始めているのに、自分はまだそのスタートラインにも立っていないという焦燥感が絶えずあった。彼らはまだ名もなき者たちだったが、作家気取りで振る舞い、一様に当時はやっていたコントラストの強い写真ばかりで、そうしなければ写真じゃないとの強い意志を持っていた。皆お揃いの黒の革ジャンを着て、ブーツを履いて新宿辺りを闊歩していた。

 ゴールデン街のある店のドアを開けると、黒光りの背中が威圧するように並んで、とてもその列には入れなかった。コントラストの強い写真はそのままインパクトのある強い写真になるのか、僕もそのような写真を試みたことがある。すぐにわかることだが、そこには写真の病が潜んでいて、むしろそこから離れるべきだと僕は直感していた。
(瀬戸正人『深瀬昌久伝』日本カメラ社・2020年)

 

ここで瀬戸が書いている「コントラストの強い写真」とは森山の影響を受けていた写真を指すことはいうまでもないだろう。森山に憧れて集まった若者たちがどれほど多かったことか。私は想像するしかないが、当時絶大な存在だったはずだ。


誰かの作品を模倣したところでその作家自身を超えることはもちろんできないし、それ以前に二番煎じと捉えられてしまうリスクもある。ただ、それは時代を経れば多くの者が理解できることだが、その渦中にいる者はなかなか気づくことができない。


少し話がそれるが1990年代後半から2000年代前半にかけて「日々の泡」(写真評論家・飯沢耕太郎氏が命名と言われている)と呼ばれる写真が流行った。当時、若手として注目されていた川内倫子、佐内正史の存在が大きい。彼らは中判カメラとネガカラーフィルムの組み合わせにより、日記のように日々の何気ない些細な事柄を撮影するスタイルだ。作風は違うが共通項があった。

やはり日常に注目した1970年代の「コンポラ写真」とはまた性格を異にするもので、もっと肩の力が抜けたものだったし、なにより当時の紙のメディアと相性がよかった。インターネットはすでに存在していたもののSNSはまだ発達しておらず、やはり紙の雑誌が中心で業界全般に勢いがあった。少し露出オーバ気味、あるいは白飛びしたビジュアルは印刷物で観ても美しかった。それまでカラーといえばポジが中心だったが、それとの大きな違いはネガカラーは自分でプリント作業までするのが通常で、つまり色も濃度も自在でそれはかなり画期的なことだった。

 

あっという間に、若い世代を中心に川内風、佐内風の写真が雑誌メディアに登場するようになった。特に川内は6×6判カメラを使っていたので、同じく正方形で撮った写真は目立ちやすいこともあった。もはやクレジットを見ないと川内が撮ったのかと見間違えることもあった。正直、ここまで真似るのかと疑問に感じるほどのものもあり、その感染力の高さに驚いた記憶がある。

ただ冷静に観察すれば本家と、その影響を受けた写真の質の差は歴然で、やがて淘汰されているだろうと私は感じていた。実際に本家は残り、ほかの多くは消えていった。


惹かれる気持ちもわからないわけではなかった。私にも彼ら二人の写真は魅力的に映った。ただ私がそれを模倣することがなかったのは彼らとは同世代で、すでに自分もネガカラーで撮影していて、それなりに自分のスタイルがあったからだ。もし私がより若く、これから写真を始める身だとしたら、影響を受けずに通りすぎることの方が困難だったかもしれない。


その経験を、CAMP、森山、そして瀬戸の時代やその関係にそのまま当てはめるのはいささか乱暴すぎるとは自覚している。時にあらがうことができないほどの魅力があって、そこに吸い込まれていくことは、もちろんけっして悪いことではない。ただそれを経てオリジナルにたどりつく必要がある。


先の著書の瀬戸は「そこには写真の病が潜んでいて、むしろそこから離れるべきだと僕は直感していた」。つまり俯瞰し、自分の立ち位置を理解していたことになる。これは簡単なことでない。誰もが時代の子でもあるからだ。


私のインタビューに対してはこう発言している。


「それは簡単。森山さんがいて、森山流なの、みんな撮り方も何も。僕も森山さんの生徒だったから真似たことがあるの。真似てみて、でもおもしろくないと思った。それは先生のものであって、それとは別に自分の何かを追求しなくてはいけない。だから興味なかったです。もう80年代にもなろうとしていて古いというぐらいなのに、あれ、こんなことをやっているの?まだ70年代のムーブメントというかね、雰囲気なわけ」


冷静に時代を見ている。
 
瀬戸はみずからギャラリーを作る道を選んだ。とはいえ、前回書いたようにそこに森山の直接の影響があった。興味深い。これまで繰り返し触れ、いまさら書くまでもないが、やはりいかに写真家・森山大道の影響が強いのかをあらためて感じさせる。


その影響力とは具体的には何か。私は三つの要素と考える。単純な言葉に落とし込めば「作品」「言葉」「活動」の要素になる。この三つのバランスが絶妙だと常々感じている。「作品」とは写真作品のことだが、「言葉」とは森山が語る言葉、その語り口のこと。そこには言葉選びのセンス、声質(意外と語られることが少ないが実は重要な要素で、一種の色気も含む)というものも大きく関係している。

 

けっして感覚だけで語っているわけでも、逆に理論に偏っているわけでもない。感覚的なことをわかりやすく的確に自分の言葉で語れる写真家というのは、実はそれほど多くない。そして最後の「活動」とはみずからプライベートギャラリー「ROOM 801」を作ったことや、「CAMP」の中心であったこと、教育機関で教鞭をとっていたことなどのことをさす。
 
日本だけになぜ、自主ギャラリーが存在するのか。前回の瀬戸へのインタビューではカメラ雑誌もメーカー系ギャラリーも無名の若者たちにとっては敷居が高く、そう簡単に発表できるメディアではない。だったら「俺たちでつくらない? 場所、小っちゃくていいじゃん」という発想が発端だったと聞いた。


それ以外にもいくつか要素があるはずだ。私が思うに、そのなかに賃貸(東京の場合)がそれほど難しくないことがあるのではないか。私は常々そう考えていた。賃貸物件がたくさんあるという意味においてのことだ。ただ敷金、礼金、保証人などをクリアすべき問題などはあるが…。

 

現在のPLACE M(東京都新宿区新宿1-2-11 近代ビル3F)

https://www.placem.com/

 

例えば私が一年ほど暮らしたニューヨークでは、あまり信用がないと大家からみなされ場合、いきなり家賃の一年分前払いを求められたり、部屋の持ち主が了解しても、さらにアパート全体の住民で構成された組合の面接(インタビュー)を受けることもある。私もそれを一度求められたが、結果的に見送られた、入居を許されたのだが。これはギャラリーではなく住居の話、さらに外国人という立場だったこともあるので、日本の賃貸事情とにそのまま当てはめることはできないのだが…。
 
「それはどうかな…」


瀬戸はそう切り出した。

 

「僕ら、部屋を探したときは、すごく嫌がられたから。不特定多数の人が来るの?みたいに警戒されたし、そもそも君たち、どうやってカネを稼いで、家賃を払ってくれるの?とさらに警戒されたみたいなこともあって、なかなか難しかった」


何ヶ所かで断られたようだ。写真家を自称している無名の若者たちに、不特定の人が写真を(それも無料で)観に来るという場を「はい、喜んで」と簡単に提供する気にならないことは容易に想像がつく。

 

なぜ、四谷4丁目だったのですか?


「新宿から四谷に向けたあたりが当時安かった。ただ新宿通りは高いよ。その裏通りはみんな、安いんですよ」


当時の「PLACE M」は、新宿通りから細い路地を入って100数十メートルほどの古びた鉄筋のアパートの二階の角部屋。一階にはトンカツ屋が入っていたが、ほかは上階も含めてすべて住居として貸し出されていたようだ。

 

かつてPLACE Mだった場所(東京都新宿区四谷4-10-1 メイプル花上2F)は、現在ギャラリーニエプスになっている。

https://www.niepce-tokyo.net/

 

ちなみに私が最初に「PLACE M」を訪ねたときには、かなり緊張した。本当にここがギャラリーなのか?入っても大丈夫なのか?という思い(恐怖心に近かった)から鉄の扉を開ける勇気がなかなか出なかった記憶がある。
 
次回に続く

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