top コラム自主ギャラリーの時代第7回 イメージショップCAMP②(前編)

自主ギャラリーの時代

第7回 イメージショップCAMP②(前編)

2023/02/28
小林紀晴

WORKSHOP写真学校の入学案内書と、講師写真家たちによる入学勧誘文(1974年)。

月曜は深瀬昌久、火曜は荒木経惟、水曜は細江英公、木曜は森山大道、金曜は東松照明、土曜は横須賀功光と、

曜日ごとに講師が分かれていて、昼の部と夜の部があった。

 

「CAMP」の誕生について語るには「WORKSHOP写真学校」について触れないわけにはいかない。

 


 

「WORKSHOP写真学校」は1974年4月22日に開設され、1976年3月に解散した。意外なほど短く、わずか2年ほどの活動だったことなる。それでいて、その後の日本写真界に大きな役割を果たしたことはここで記すまでもない。時に、活動とはその長さではなく質や濃度の高さといったものの方が重要だといえる。

 

「解散後も息の長い活動が脈々とあり、多くの若者がその波の洗礼を受けた。また、多くの写真家たちも巻き込まれていったのだった」
(『インディペンデント・フォトグラファーズ』東京書籍・1989年p14)

 

 

「WORKSHOP写真学校」には6名の写真家(東松照明、森山大道、細江英公、荒木経惟、深瀬昌久、横須賀功光)が講師として参加しているたことはよく知られているが、その中心的役割を果たしたのは東松だった。そもそもの立役者である。その設立に関して、東松が語っているインタビュー記事を見つけた。
 

編集部:一九七四年に、東松さんが沖縄から戻られて、ワークショップ写真学校が設立されるわけですが、もともとは森山さんとの話の中で写真学校を作ろうという話がでたのですね。

東松照明:当時、西新宿に僕の住まい兼事務所があって、そこへ森山さんがちょいちょい遊びに来ていた。沖縄から帰ってすぐ所在なさげにぼんやりとしている僕を見て、森山さんが何かやりましょうよ、と言うんです。沖縄では宮古大学を作っていたりしたので、それにならって寺子屋方式なら可能性があると思ったんです。それまでも、多摩芸や東京造形大学で写真を教えていましたが、大学における写真教育にちょっと疑問を持っていたので、少人数の寺子屋方式で教えようと森山さんに提案したら、話に乗ってきて、やりましょう、やりましょうということになったんです。
(『森山大道全作品集』第一巻、2003年/東松照明 『森山大道とその時代』青弓社・2007年 p369)


森山大道の視点

私は森山自身に主に「CAMP」について直接インタビューさせていただく機会を得た(2021年2月)。その際「WORKSHOP写真学校」についても触れた。
 
「僕が東松さんに、そういうプラン(WORKSHOP写真学校)を話したわけじゃないから。東松さんが沖縄からね、東京に帰ってきたのよ。沖縄では若い人たちとの交流とか、いろいろあったと思うんだけど、ひとまずピリオドを打って帰ってきたの。それで東松さんから電話がかかってきて、お茶でも飲もうと。新宿でお茶を飲んでるときに東松さんが、今の東京の写真の状態って、どうなのって聞くから、僕は特に変わったことはないですよって。東松さんも沖縄からのギャップじゃないけどさ、まだ、東京で具体的なことをね、どうしようなんてプランもなかったみたいな時期で。東松さんには新宿に沖縄の前から借りていたスペースがあったんだよね。北新宿、そこのスペースが多少広いので、もし東松さんが、今、呆然としているんだったら、そのスペースで、何ていうかな、ワークショップじゃないよね。そういう若い人を集めて、なんかやりませんか?もし東松さんがやる気があるなら、僕も手伝いますよと言ったのが最初。だから東松さんから別にワークショップの話が出たわけでもないし、僕が東松さんにやれ、やれと言ったわけでもない。ただ、そのときの雑談の中で……」
 
二人の記憶、見解は微妙にニュアンスが違うが、ほぼ一致している。いずれにいしても、東松が沖縄を引き上げ、東京に戻った直後の二人の会話からすべてが始まったことは間違いない。この邂逅がなければ「WORKSHOP写真学校」も、さらには「CAMP」の存在もなかったということになるだろう。大袈裟な言い方をすれば、日本の写真史の一端が明らかに違うものになっていた、という言い方もできるかもしれない。
 
そのとき、森山さんは、写真を教えることに興味があったんですか?私は訊ねた。

 

「いや、別になかった」

 

即答だった。


「ちょうどその時期かなぁ。ちょっと年がわからないけど、東京写真専門学校からも話が来たわけ。その前には東京綜合写真専門学校、重森さんからも、うちに来てやらない?と言われて。それは断ったの。もともと生徒を集めて学校みたいなことは、俺、無理だからとお断りしたの。


でも、そのあとに東京写真専門学校の西山さんという校長が、とってもしつこく、ぜひ!お願いしたいと、何遍も来られたので。ちょうどWORKSHOP写真学校も始めるので、もうダブるしと言ったんだけど、とにかくお願いしますと言うので、そこまで、おっしゃるんなら、取りあえずやりましょうと。その代わり毎週というのは無理だから、隔週でやってくれというふうにして始まったんだよね」


では、そもそも教えることに対しては、積極的だったわけではない?


「まったくない」
 
「WORKSHOP写真学校」は1976年の3月末に解散したのだが、そのわずか2ヶ月後の1976年6月5日に「イメージショップCAMP」は生まれた。このことからも二つが深く関係していることが伺い知れる。
 
私はそのあたりについて森山に訊ねた。


「WORKSHOP写真学校が2年半(実際には2年弱)で終わりになった。で、俺は半年というのがよくわからなくて、どうせやめるのなら3年やればいいのに、と思ったけど。いろんな事情があって2年半で終わりになった。で、僕は最後の東松さんや、みんな集まって、これで終わるというミーティングをしたその日の晩かな、僕の生徒の北島敬三とか倉田精二とか、そういう連中にすぐ連絡して、とにかくWORKSHOP写真学校は終わった。でも、なんか次やろうよと、せっかく集まったんだから、一緒にやろうよと(と声をかけた)。君らは写真学校を出たけど、じゃあ、どこで何をやるかと言ったってさ、写真、なかなか持っていけないだろうと。写真展をやるったって、すぐできないだろうと。だったら、自分らで部屋を借りて、やろうよというのが”CAMP”だよね、うん」

 

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