top コラム自主ギャラリーの時代第12回 自主ギャラリー、一年を振り返って(前編)

自主ギャラリーの時代

第12回 自主ギャラリー、一年を振り返って(前編)

2023/08/07
小林紀晴

自主ギャラリーに関するこの連載を初めてから、ちょうど一年がたつ。とはいえ、書きたいことがあまり書き進んでいないというのが正直なところだ。これまで紹介させていただいた方々以外にも多くの方にインタビューをすでにさせていただいているのだが、まだ紹介しきれていない。

 

どの方にも本当に快くインタビューを受けていただいた。多くは写真家で、ほとんどが初めてこのようなインタビューを受けるという意味のことをおっしゃった。自主ギャラリーに絞った調査、研究が限られたものであるという実感をもった瞬間でもあった。これまであまりにそれが行われてこなかったのは「資料が簡単に集められない」という理由がもっとも大きだろう。写真集への注目がその逆であることを考えると明らかだ。自主ギャラリーで主に行われているのは写真展である。終わってしまえば、ほぼ何も残らない。案内のためのDMをわずかに残す程度だ。それすらも散在している場合が多い。 
 
私がこの調査、研究を始めたのは2020年からだが、その中で大阪芸術大学写真学科の吉川直哉先生が関西地区の自主ギャラリーについて地道な調査をされていることを知った。日本写真芸術学会のシンポジウム(2022.2.27 オンライン開催)だ。その後、ご本人とも交流を持つことができたことは大きなことだった。そのシンポジウムをまとめた『日本写真芸術学会誌』(令和5年度―第32巻・第1号)には吉川先生の調査結果が載っている。詳細な関西のギャラリーの年表だ。そこには「この年表は、展示スペースが75、出版関係が10、うち、コマーシャルギャラリーが20。その他のインディペンデントな活動が約50、1970年代から現在までとにかく集めました」とある。ただそれでも「未完成、未確認の部分もある」という。

 

『日本写真芸術学会誌』(令和5年度―第32巻・第1号)

(2023年5月1日時点の研究資料)

 

東京(関東)では吉川先生が制作したリストのようなものさえ存在しない。関西に展示スペースが75もあったことに驚くと同時に、関東にもおそらく関西と同程度、あるいはそれ以上にあったのではないか、と想像するが、その数を正確に把握することはもはや困難なのかもしれない。やはり資料が簡単に手に入らないというのが大きな理由だ。流通経路を経ていない写真展のまさに自主のDM、印刷物などは図書館には保管されないからである。誰かの本棚や押し入れの奥に密かに眠ったままなのである。仮にそれを所有している方が亡くなったとしたら、価値のないものと見なされて処分されてしまうだろう。

 

1989年、大阪の「リトルギャラリー」で開催された「MOVEMENTS」展DM。1970年代からの雑誌メディアを中心とした関西の写真家たちの活動資料、出版物などを展示した。(資料提供=吉川直哉)

 

現在は誰かの記憶のなかで「あそこにあんなギャラリーがあって、誰々がやっていた…」という記憶だけでかすかにつながっているが、時間の経過とともに消えていってしまうのだろう。写真界の片隅のささやかな出来事なのだから当然な気もしないでもないが。

 

一方で時々、古書として突然、かつてのギャラリーが発行した印刷物が売りに出されることがある。私は常々それをチェックしているのだが、大きな収穫としては四谷三丁目にあった「FROG」が発行していた冊子34巻(おそらく全巻のはず。発行年は1989年1月-1991年10月)や「GALLERY OWL」での展示のカタログ一式(すべて揃っているかは不明)などを手に入れることができた。「FROG」の冊子は10万円もした。それでもいま手に入れておかないと、二度とでてこないだろうという思いがあった。

 

自主ギャラリーFROGが月刊ベースで刊行していた写真論誌『FROG:Film ROund Gallery』(1989年1月-1991年10月)

 

東京南青山にあった自主運営ギャラリー、Gallery OWL(ギャラリー・アウル)による展示記録の冊子

 

(※個人情報保護の観点から、一部画像を加工しています)

(※個人情報保護の観点から、一部画像を加工しています)

 

私の調査、研究の方法はすでに現存しないギャラリーであっても、それがあった場所へ行くことから始めるというもの。ギャラリーは場所であるという思いが強いからだ。当然ながらギャラリーは簡単に場所を移せない。ある特定の街のなかで続けていくことなる。どこの駅で降り、徒歩何分か。その途中には何があるのか。迷いやすい場所か、わかりやすい場所か。それらのことは重要だ。

 

そんなふうに考えるのは、かつて自分が短い期間ではあったがギャラリーをやっていたからだろう。都内のさまざまな場所を巡り、飛び込みで不動産屋に入って「このあったりでギャラリーができそうなところはないですか?」と聞いて回った。多くは怪訝な顔をされた。そんな客はほとんど来ないからだし、ギャラリーという言葉自体をよく理解してない人もいた。そんなときは画廊などと言い換えてみたりもした。次第に新宿方向、さらには四谷にたどり着いたことになる。最終的に見つけたのが当時の「プレイスM」(現在の「ギャラリーニエプス」)の道をはさんだ真向かいの物件だった。冗談みたいだが、この広い東京でこんな偶然ってあるだろうか、と驚いた。

 

2003年〜2004年、著者が東京・四谷で運営していた「Days Photo Gallery」

 

ただ、理由は明確で四谷に辿り着いたのは交通のアクセスがいい割に家賃が安かったからだ。当時、かなり空室が多かった印象がある。新宿通りに立って、通りの向かいのビルを観察すると、空室と思われる部屋がいくつもあった。すると当然ながら大家さんの審査も甘くなる(あくまで私の感想だが)。不特定のお客さんが来る、展示は基本的に無料であることを説明すると、より怪訝な顔をされることがあった。


「無料でどうやってもうけるのですか?」という素朴すぎる質問がでるのは当然なことで、「写真を売ったり、レンタルで写真展をやりたい人に貸し出します。レンタルの場合、写真展をしたい人がお金を払ってくれます」と説明すると「又貸しするのか?」と意外なことを言われて、「いえいえ、そうでなく・・・」と慌てて説明しても、納得してもらえないこともあった。

 

写真界では常識と思い疑わなかったことが、ほかの業界の人にはまったく通じないことを痛感した。知人には「ギャラリーなんて、ビルのオーナーが税金対策のためにすること。自分で借りて家賃を払ってまですることじゃない」なんてことも言われた。

 

おそらく自主ギャラリーを始めた方の多くの写真家が、最初私と似たような体験をしているはずだ。「不動産屋の壁」とでもいおうか、そんなものに。

 

「ギャラリーは駅から近いところにしてください」なんていう、要望のようなアドバイスのようなものをもらったこともある。20代の写真を実際にやっている人からだった。すでに何度か展示をした経験があって「駅から遠いと展示する作品を歩いてもっていくのがつらすぎる」という具体的で個人的体験からでた言葉だった。「それに遠いと観に行くのもつらい」とも。

 

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