1977年6月、プリズムにて開催された〈風景の波動〉展DM(※個人情報保護の観点から、一部画像を加工しています)
1976年3月、新宿区大久保の何の変哲もない二階建ての建物に生まれた「Photo gallery PRISM(プリズム)」のメンバーは東京綜合写真専門学校の卒業生を中心としていた。
『INDEPENDENT PHOTOGRAPHERS IN JAPAN 1976-83』(インディペンデント・フォトグラファーズ・イン・ジャパン 1976-83)(以下『インディペンデント・フォトグラファーズ』と表記)には 当初のメンバーは12名で「各自、資金を持ちより、期限も2年間ということで運営を開始した」とある。谷口雅、桑原敏郎、住友博、平木収、小部俊裕、阿部棟也、守屋裕司、吉村礼仁、牧田アダン、重松一穂、野村三郎、棟近好一とある。谷口雅とのちに写真評論家になる平木収などが中心メンバーだったようだ。
『インディペンデント・フォトグラファーズ』にはプリズムのオープンに際しての“写真専門ギャラリー「プリズム」開設案内”の全文が掲載されている。少し長くなるが、趣旨がよく理解できるので以下に引用したい。
職業写真家になりそこないながらもなおかつ写真に関わり続けようとしているわたしたちにとって持続的な表現活動の《場》を持つということはできるだけ早く解決しなければならない大きな問題の一つとしてあり続けました。
わたしたちが「小さくてもよいから写真専門のギャラリーを,そこに行けば必ず写真展を催していて,そして、そこには,写真を語り合える者がいつでもいるという,そういった〈場》を持とう。」と動き始めてからもうすぐ“一年”になります。そして,いま,わたしたちの考えていた「小さなギャラリー」が姿を現すことになりました。
わたしたちはこの小さなギャラリーをより有効に使っていきたいと考え,単に作品発表の場所と考えるのではなく,わたしたちの写真を考えていくための《場》として考えていくつもりです。そのための一つの試みとしてこれまでにいろいろな形で発表され、わたしたちに影響を与えた多くの写真のなかから,いまではあまり観る機会がなくなってしまったいくつかの写真をとりあげて,企画展として実現させていくつもりです。わたしたちの写真の系譜をたどる作業として重要なことだと考えています。
この小さなギャラリーをもう一つの別のメディアとして,もう一つの別の写真のありかたの可能性をさぐる試みとして,ゆっくりと考えていくつもりです。
この小さなギャラリーがわたしたちと呼び合うことのできる多くの写真家たちの,一つのコミュニケーションの《場》となり得るとするならば,そこから新しい写真表現の展開も可能ではないかと考えています。
平木収は著書『写真のこころ』(平凡社・2010)の「写真を見つめる楽しみ」の章に「『プリズム』で気がついたこと」という短い文章をよせている。
「当時、二十歳代半ばの、世にいう写真家の卵十数人が、各々なけなしの三万円也を持ち寄って設けた、いわゆる自主運営ギャラリーだ」「もともとが自分の写真を見たい、というよりは、自分の写真を見せたい、との一心で設けられたギャラリーだったが(略)、主要店番要員の一人として、週の大半をギャラリー受付で過ごした」なかで、「こうした日々の中で、私自身の目で見る楽しみや悦びがどんどん拡張していくのを、はっきりと自覚することができた」
興味深いのは、さらに「プリズムで見出した写真の見方」にまで言及している点だ。
かくして写真展を見る楽しみが、写真の美を見る楽しみにとどまらず、写真世界とでもいおうか、表現された、または表現が試みられた不可視の全体像を見る楽しみへと成熟していったのだと思っている
つまり、平木はプリズムという場をきっかけとして、発表する悦びを上回る見る悦びに目覚めたことになる。撮ることからキャリアをスタートさせた平木だが、後に写真評論の道に進むことに深く影響、深く関係していることはいうまでもないだろう。
「プリズム」にとって最初の展示は1976年3月25日〜4月3日の会期で行われた桑原甲子雄の「東京幻視」と題された企画展だった。ただし桑原はメンバーではない。
『インディペンデント・フォトグラファーズ』には「桑原甲子雄は昭和初期の東京を、プロフェッショナルな写真家とはまったく別の視点でとらえた写真家で、街への純粋な興味を私的な印象として記録している。70年代に入って、再確認された最もピュアでモダンな風景写真家、すなわち「プリズム」のメンバーの多くが予感していたであろう、これからの写真スタイルの原形だったのである」とある。
桑原甲子雄(1913-2007)自身による文章も見つけることができた(『物語昭和写真史』桑原甲子雄 月曜社 2020 p331 初出『アサヒカメラ』1985・1~1986・12の連載)。「プリズム」、さらに当時の写真界全般に触れている。
私は、七〇年代半ばから生まれた新宿を中心としたミニギャラリー「プリズム」「キャンプ」「プット」などに時々顔を出すようになった。ここに集う写真青年は、谷口雅、金子隆一、矢田卓、築地仁、北島敬三、平木収、島尾信三など、こんにちみな三十代をむかえて活躍中の人たちであるが、時代の写真表現を模索してシコシコしている最中であった。(略)いま思い返せば、あの七〇年代は、シラケのうちにもさまざまなパフォーマンスが胎動していたといえるのである。
時代の空気を直接知らない私にとっては「シラケ」という言葉が気になった。私は「シラケ」の時代とも世代とも思わないからだ。私より15歳から20歳ほど上の世代にあたると思うのだが、逆に勢いがあり、熱い世代という印象がある。
ここで桑原がいう「シラケ」とは、当然ながらその数年前に終焉を迎えた学生運動を中心とした「政治の季節」と深く関係があるはずだ。それに対してある種の無力感、脱力感、敗北感を抱いた青年たちが、それ以外のものへ興味の対象や、さらに行動を移行していった(いかざろうえなかったともいえるのか)季節ともいえるだろう。そう考えると、やはり真の意味では「シラケ」てはいなかったはずだ… と遅れてやってきた世代は思うのだが… あくまで想像に過ぎない。
(後編へ▶︎)
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