top コラム自主ギャラリーの時代第8回 イメージショップCAMP③(前編)

自主ギャラリーの時代

第8回 イメージショップCAMP③(前編)

2023/03/31
小林紀晴

北島敬三の視点

写真家・北島敬三はWORKSHOP写真学校を経てCAMPに参加した一人である。北島は1954年長野県須坂市に生まれ、1974年「WORKSHOP写真学校」の森山大道教室の二期生として写真を本格的に始めた。「WORKSHOP写真学校」が解散した1976年には「イメージショップCAMP」 の設立・運営に深く関わる。その後、時を経て2001年には「photographers' gallery」をみずから設立し現在に至る。受賞歴も多く、日本写真協会新人賞(1981年)、第8回木村伊兵衛写真賞(1983年)、第32回伊奈信男賞(2007年)など多数。昨年2022年には全20巻からなる連続写真集『UNTITLED RECORDS』(KULA)によって第41回土門拳賞を受賞している。
 
写真評論家の鳥原学は、北島敬三の「WORKSHOP写真学校」への参加について以下のように書いている。
 

第二期に入ってきたのが北島敬三で、北島は倉田(精二)と対照的な存在に思える。北島は高校時代に写真雑誌で森山の作品に興味を覚えていたが、やがて成蹊大学の写真部で撮る面白さに目覚めてしまった。北島は森山ゼミに入るにあたって、すぱっと大学を辞めて写真に賭けたのだ。

(「動機と行為の直結」を目指す写真家たち『森山大道とその時代』青弓社・2007年 p329)

 

ギターを手にする北島敬三/IMAGE SHOP CAMPにて(写真提供:編集部/撮影者不明)

 

私はまずは鳥原が書いたこの文章について北島に訊ねてみた。すると事実と違う部分があるとした上で語り始めた。


「写真はもっと前から興味があって、大学で目覚めたわけじゃまったくない。その頃の写真って、写真好きだけじゃなくて一般の人も『アサヒカメラ』を見るような感じがあった。確か『アサヒカメラ』が10万部近く売れたりして、写真というジャンルで何かが起こっているという雰囲気があった」


続けて「政治の季節が終わろうとしていた頃」「プロヴォーク」「中平、森山」「中平さんが『朝日ジャーナル』で沖縄の海洋博を撮っていた」「荒木さんが『さっちん』で太陽賞を獲ったり」「森山さんが『アクシデント』とか『何への旅』とかの連載をしたりとか」という言葉が北島の口から次々と出てきた。


 後で確認してみると、中平卓馬はその頃、『朝日ジャーナル』で「もうひとつの国」と題した連載を行っていた。私が見つけた記事は「もうひとつの国〈3〉植物図鑑」(1971年)というものだった。さらに「にっぽん透視図」という連載も1972年に行っているようだ。森山の『アサヒカメラ』 での「アクシデント」の連載は1969年、「何かへの旅」は1971年だった。


確かに多くが重なる。
 
「高校時代から小説を読んだり、映画を観たり、あるいは写真を観たりというなかで、一つのジャンルとして写真が面白いという感じが当時あった。まあ大学は入ったんだけど、特に目的もなく(笑)、どうしようもない入り方もしたし、どこでもよかったってとこもあって。そんなときに『アサヒカメラ』の広告にWORKSHOP写真学校の広告が出たんだよね。先生に森山大道ってあるし、東松照明が校長みたいに書いてあるから、これは面白そうだ、もうそっちに行こうと思って。ある種どうでもよかった大学には未練がなく、決断して、そっちへ行ったわけね。WORKSHOP写真学校に入るときに、写真家になろうと思って入ったんだよ」


では、大学生活を断ち切ってというわけではなく……。


「うん、全然そんなんじゃない。なんか探してたんだよ、面白いことを。その広告にインスパイアされて、写真を本気でやってみようって。チャンスじゃないかなと思ったんだよね。だけど、そのときはWORKSHOP写真学校ってビルのイメージだったんだよ。そしたら、実際は木造モルタルで民家の2階だったんで、ちょっとそれはショックだったけど(笑)」
 
前回、書いた通りWORKSHOP写真学校は1976年3月末をもって解散する。その数ヶ月後の6月に「CAMP」が始まる。北島はその初期メンバーである。北島は22歳。森山は38歳だった。
 
「WORKSHOP写真学校で写真の勉強をして、とにかく写真家になろうと思ったわけ。そのときの写真家のイメージは、例えば車とか料理とかファッションとか、いわゆるそういうものを撮る写真家じゃなくて、森山さんとか中平さんみたいに、ちっちゃいカメラでブラブラ歩いて撮って、発表するみたいな存在。多分、そういう写真家って、森山さんとか中平さんぐらいからだと思うんだよね。カッコいいなと思って、そういう写真家に自分もなりたいと思ったんだよね。ファッション撮ろうとか、タレント撮ろうとか、そういう形の写真家じゃ全然なくて。

でも、なり方なんてわかんないじゃん。写真学校で何かやったらわかるかと思ったら、卒業しちゃったんだよ。1年で終わり。1年しかないわけ、ワークショップは。1年終わったところでさ、何もないんだよ。放り出されたっていうか。写真家になりたい気持ちはあっても、まったくこう、また何もない」
 
私は『インディペンデント・フォトグラファーズ』に記されている、CAMPを始めるにあたり森山が発言したといわれている「さあ、場所はできた。ここからいったい何をしていくのか」という問いかけの文章を読み上げ、北島がそれに対して現在どう感じているかを訊ねた。北島は意外な反応をした。


「森山さん、そんなこと言うわけないじゃん」


えっ、私は焦った。

 

「森山さん、そういう言葉絶対使わないよ」

 

ちなみに同じ問いをそれ以前に森山自身にしたことがある。同じくこの言葉を森山の前で読み上げると、

 

「いや、そのとおりだよね。場所をつくったんだから、この場所をどう使っても、好きに使ったらいいんじゃないと、それぞれがお金を出しているんだし」


という答えが返ってきた。反応がまるで違うことが興味深い。


ちなみに『インディペンデント・フォトグラファーズ』の記述を注意深く確認してみれば、「(略)メンバーを前にして呼びかけ人であった森山大道は『さあ、場所はできた。ここからいったい何をしていくのか』と問いかけたという」とある。最後の「という」ところがクセモノだ。「らしい」のようなニュアンスだからだ。もしかしたら、北島の言う通り、これは純粋な森山の発言ではないのかもしれない。こんなところで真実というのは、時を経ると散り散りになっていくのだろうか。


私は続けて、同じく『インディペンデント・フォトグラファーズ』に記載されていた案内状の文章を読み上げた。


「メンバー個々の作業現場として、発表現場として、また販売現場として、いわば制作とか伝達がアクチュアルに交差し続けるベースキャンプたらんと設営したものです」というものだ。


「うんうん。それに近い、ここはどういうとこかという説明文は作ったような記憶がある」
 
CAMPは正確には「イメージショップCAMP」という。「ショップ」がついている通り、販売する場所でもあり、制作する場所でもあり、場所自体がメディアそのものでもある。つまり、いわゆる一般的なギャラリーではないという理解であっていますか?


「(CAMPのマークは)蝿だけどね、あれはもともと、本来はブヨなんだよ。ブヨであるべきなの。ある過剰な毒、キッチュを過剰にしちゃうみたいなさ、そういうところがちょっとあったとは俺は思う。ただ、ブヨじゃさ、ちょっとロゴ(マーク)になんないから蝿にしたんだけど、要するにパパラッチなんだよ。パパラッチってさ、ブヨみたいに寄ってたかるカメラマン。そういうのが陰にスピリット、共通認識としてあったわけ。つまりパパラッチ的な写真の撮り方が一つ問題意識の中にあったわけね。パパラッチって一つの理想。俗っぽくて、追っかけ回して。だから、集団撮影というのをやってんだよCAMPのメンバーは」


唐突にでた「集団撮影」という言葉。聴き慣れないので気になった。


「集団撮影」って合宿とかですか?


「じゃなくて、テーマ決めて、阿波踊りとか撮りに行こうとかさ、あるいは新宿の夜を撮ろうとか……いくつかやってるよ。山村みたいなとこも撮ったかな。何かひとつ適当にテーマ決めて、それをメンバーみんなで集団で撮影する。つまり、個人の名前、作家名で作品作るんじゃなくて、集団」


説明を聞いてもピンとこない。発表するときも集団の名前ってことですか?


「そう。集団制作だよ、簡単に言うと。個人制作じゃなくて」


つまり、個人の名前が出ないとうことですか?


「そうそう、出さない」


意外な答えだった。

 

先ほど北島は写真家になりたくて「WORKSHOP写真学校」に参加したと口にした。もちろん「CAMP」もその延長線上にあることは間違いないだろう。だというのに集団で制作して、それぞれの作家名を出さないということが不思議だった。

 

「だから、ギャラリーというよりは磁場。そこはいろんな人が来たりとか制作したり、一つの力を持つような場だよね。そういう場所を作り、持つということ。1人じゃできないから集まったというよりもさ、ある種のアノニマス性(「作者不明の」「匿名の」という意味)というか、当時言われたじゃない、匿名的なスタンスの写真。

 

写真の持っているそういう側面を重要に考えようとしていた。あるいはハイ・アートにしないで、俗っぽいパパラッチみたいなところでこそ写真の力って出るんじゃないか、そういう感じがあってCAMPって名前だったし、蝿のマークだったわけよ」

 

初めて聞く話で驚いた。

 

 

一方で北島は雑誌『写真』の創刊号(ふげん社・2022年)のなかの「対談30年ぶりの邂逅 写真の教え」という森山大道と北島の対談記事のなかでは興味深い発言をしている。そのなかで北島は森山に以下のように訊ねる。


「CAMPの発想、蠅のマークはパパラッチというのはどんなところからきていたのですか。私たちに何も説明してくださらなかったですけど」

 

これを読む限りでは当時、これらの事柄について森山が直接、メンバーに語ったことはなかったということだろう。

 

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