top コラム自主ギャラリーの時代第3回 フォトギャラリー「プリズム」②(後編)

自主ギャラリーの時代

第3回 フォトギャラリー「プリズム」②(後編)

2022/10/20
小林紀晴

続く4月4日からの企画展もやはりメンバーとは直接関係のないもので「写真効果4」展だ。「写真効果4」展の展示者は浜田蜂朗、矢田卓、山崎博の3名だった。このことからもプリズムが閉じられたものでなく、明らかに開かれたものを目指していたことがうかがえる。

 

「写真効果」とは矢田卓、神林立子、木村恒久、浜田蜂朗、山崎博などで構成された特定の発表の場をもたない写真集団・グループで、いくつかのギャラリーを渡り歩くように展示をしていた。「写真効果」による第一回展示は1974年11月にシミズ画廊で行われている。同時に『写真効果 magazine』という名の写真誌を発行していた。「写真効果」について『インディペンデント・フォトグラファーズ』には以下のように書かれている。

 

「写真効果」は写真展という同一の空間を共有する、ということだけをベースに、〈写真展・写真効果〉としてスタートしたようだ。
学生運動が吹きあれていた時代の、多摩美術大学、多摩芸術学園などで学生運動をになっていた矢田卓は、そこで神林立子らと出会う。これは、この「写真効果」の性質のある側面を形成していたのではないか。

 

当時の『アサヒカメラ』(1976年6月号)の写真展紹介ページには早くも展示の記事が掲載されている。「オープンにあたって最初に開かれた桑原甲子雄の「東京幻視」は、ギャラリーの開設を祝うにはふさわしく、ささやかではあるが充実していて見ごたえした」とある。

 

 

 

『インディペンデント・フォトグラファーズ』には「『プリズム』のメンバーからしてみれば、同時代的な写真家として、少し先輩たちの作品展として位置づけ、そのお手並み拝見といったところであったのであろう」とある。

 

上記の『アサヒカメラ』(1976年6月号)の写真展紹介ページにギャラリー自体について触れた記事もある。少し長くなるが引用してみたい。

 

東京・山手線の新大久保の近くに、新しく常設の「プリズム」という写真ギャラリーが設けられた。このギャラリーは、若い写真家たちが資金を持ち寄り、自分たちで自主的にその運営にあたるという。そしてメンバーの個展や企画展に重点を置きながら、一般にも開放する方針だと聞いている。いわば若い写真家たちが、自分の表現メディアとして展覧会空間を持とうとする意欲が、その開設の動機となっているようである。こうした利潤追求を目的としないギャラリーができるのは結構なことだし、それはぜひ成功させてほしい。しかし、自分たちが自由に利用できるということに甘え、その企画が安易に流れることを警戒する必要がある。現に開設後の二週目に開かれた「写真効果4」展は、メンバーによる企画展であったが、早くもそのような恐れを感じさせるお粗末な展示であったといわなければならない。

 

著者名は〈B〉とある。最後の部分はかなり辛口だ。上から目線ともいえる。私は現在の写真雑誌(とはいえ、残念ながらその多くが消えてしまったが)とはかなり論調が違うところに興味を覚えた。ただ「『写真効果4』展は、メンバーによる企画展であったが」という部分は明らかな誤りであろう。当時の「プリズム」そして「写真効果」のメンバーはこの記事をどう読んだのであろうか。いまさらながらだが、聞いてみたいところである。

 

ちなみに『カメラ毎日』(1976年6月号)の「ファイル」という企画ページにこの企画展の際に展示された山崎博の「水平線のテンプテーション」という作品が「フォト・ギャラリー・プリズム」で掲載されている。

 

 

 

関連記事

PCT Members

PCT Membersは、Photo & Culture, Tokyoのウェブ会員制度です。
ご登録いただくと、最新の記事更新情報・ニュースをメールマガジンでお届け、また会員限定の読者プレゼントなども実施します。
今後はさらにサービスの拡充をはかり、より魅力的でお得な内容をご提供していく予定です。

特典1「Photo & Culture, Tokyo」最新の更新情報や、ニュースなどをお届けメールマガジンのお届け
特典2書籍、写真グッズなど会員限定の読者プレゼントを実施会員限定プレゼント
今後もさらに充実したサービスを拡充予定! PCT Membersに登録する