top コラム自主ギャラリーの時代第14回 「プレ工房」冊子(後編) 

自主ギャラリーの時代

第14回 「プレ工房」冊子(後編)

2023/09/30
小林紀晴

第3号は1989.12.16発行。インド撮影旅行の連載は「インド その後」と突然タイトルが変わっている。やはり、我ながら呆れる。文章の最後には〈「いざ、インドへ」はあまりに長くなりすぎるため、(上)で終わりました。〉なんて、小さな文字で書かれている。


これでは正しくは連載とはいえない。おそらく書くことに飽きたのだろう。

 


 『Artistic Communication Photography』No.3(1989年12月16日発行・プレ工房)

日本海へ 小林紀晴

 

『Artistic Communication Photography』No.3  −多摩川原− 米屋浩二

 

編集後記には「今回、締め切りまでに出してくれたのは〇〇さんだけでした。(略)まあやりたい人がやっているわけだから、その辺はキチンとした方がいいいんではないでしょうか。好きで始めたことなんでしょうから…。と今回、小林は思いました」


なんて不平を書いている。これまた驚く。


当時はネットとかメールなんてないので、原稿のやりとりも容易ではなかったはずだ。写真作品は印画紙そのものだったはずで、そのやり取りはどうしていたのだろうか。郵便だったのだろう。
 
4号は1990.3.21発行。ただ裏表紙の手書きの発行年月日は1989.3.21となっている。4号が創刊号より早いなんてあり得ない。明らかな間違いだ。中を見ると、米屋浩二の連載「地方都市」というのがあって、福島県いわき市が撮影した作品が載っているのだが、そこには1990.1.7 と書かれているから、1990に発行されたと考えて間違いないだろう。しかし、どうして年号を私は間違えるかな。また自分の緊張感のなさに呆れる。

 

  『Artistic Communication Photography』No.4(1990年3月21日発行・プレ工房)

 

この号で私は「冬、海を見つめる顔たち」という作品を載せている。その後、FROG で展示することになる青森で撮影したポートレイトだ。

 


これが最後の号となったはずだ。でも、どこにも最終号であることは触れられていない。編集後記すらない。もしかしたら、もう1号くらいてでていた可能性もないことはないが、確かめようがない。


これは想像だが、おそらく次も出すつもりだったのだろう。ただ、私が編集することに飽きてしまった可能性が高い。あるいはこの年の秋にグループ展をすることになるので、展示の方へ私を含めたメンバーの興味が移り、冊子は終わりにしようという話がでたのかもしれない。


すべての冊子のページを思いつくままパラパラとめくってみれば、意外なほど記憶はよみがえった。あのとき、あのメンバーはあんな写真を撮っていたなと、自分以外の作品についても思い出すことができた。ただ、その頃の自分の姿が写った「顔写真」を見せられているようで、気恥ずかしさが先に立った。それにしても、誰もが真剣で、熱かった。そのことだけは間違いない。

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